池野範男「グローバル時代のシティズンシップ教育――問題点と可能性:民主主義と公共の論理」『教育学研究』21(2), pp.138-149.
↑上記論文の抜粋
pp.143-144.
第一は、概念(名称)の問題。なぜ’シティズンシップ’教育か。市民的資質教育とか、市民課、あるいは市民性教育、市民性形成とか言わず、なぜシティズンシップ教育という概念を使うのか。シティズンシップという用語を使う独自性は何か、を解明することが必要である。
中村 恵佑(2021)「大学入試の共通試験におけるアラカルト方式導入の要因に関する再検討:国立大学協会による共通第一次学力試験の改革過程に着目して」『教育学研究』88(2),295-305.
磯田三津子(2016)「社会的公正をめざす音楽授業と教師の役割ー米国の音楽教育における子どもの民族的多様性をめぐる論考を通してー」『教育方法学研究』41, 25-35.
↑上記論文の抜粋
p.26.
米国の音楽教育において、社会的公正は、貧困層の民族的マイノリティの子どもたちをめぐる課題において取り上げられる考え方である。
音楽授業では、一般的にその歌のもつ社会的な意味や、歌詞や表現の中にある民族的マイノリティへの偏見や差別といった観点から音楽を解釈しない。ショーは、そのことを教師があげて避けているから、あるいは歌の文化的背景についての教師の理解が足りていないからであると指摘する。社会的公正を音楽教育の中で扱うのであれば、歌の中にある政治社会的な意味について子供たちの理解を促すことができる。
p.31.