目次は以下の通りです。
序 章 主題と方法
第1章 1960 年代から1990 年代における進歩主義教育の展開
第2章 文化剥奪論を越えて
第3章 子どもの作品と姿に学ぶ
第4章 進歩主義教育者のネットワーク
第5章 新たな公教育制度の試み
終 章 結論と残された課題
1960年代~1990年代の米国進歩主義教育の流れをまとめた本です。
とりわけ、その時期の教育を支え、主にノースダコタ評価研究グループに関わった五名の教育者・研究者に焦点を当てています。
印象に残った点をメモします。
一点目
1960~90年代の大まかな史的展開を理解する上で、分かりやすい本です。
本書は進歩主義教育の中で「子ども中心主義」の系譜に焦点を当てています。
・1960年代にオープンエジュケーションが誕生し、進歩主義教育の子ども中心主義の教育が再興したこと。
・1970年代にはアメリカ保守化に伴い、オープン・エジュケーションは衰退し、財政難でリベラル派の活動も困難になったこと。
・ただ、進歩主義教育者は活動を維持し、実践と理論の洗練は続けられたこと。
・1990年代に入り、関係者が続けてリタイアをすることになったこと。
などの流れが文脈豊かに論じられていました。
1960年代から1990年代における進歩主義教育の歴史を描く本書において鍵となる論点が、知性と革新性である。
p.23.
二点目
進歩主義教育を反知性主義的だとする批判に対して、反論を行っている点です。
子ども中心主義にしても、その教育の特権性やマイノリティ擁護が十分にできなかった点が批判点(例として、デルピットが「オープン・クラスルームの運動がその進歩主義の意図にも関わらず衰えた」大きな要因を、「貧困及びマイノリティのコミュニティの関心との折り合いをつけられなかった」とした指摘(p.24.)など)として挙げられがちなことを本書では想定しています。
その上で、1960~90年代の「進歩主義教育を子ども中心主義の系譜」の進歩主義教育者たちが、差別意識などは持っておらず、むしろ貧困やマイノリティの問題に向き合っていったことを歴史的に示しています。
ウェーバーが、人の知性への信頼にもとづいて、マイノリティを含むすべての子どもが学ぶ権利を保障しようとしていたということである。マイノリティの人々の人権保障が政策課題となった1960年代、進歩主義教育者は、それまで学ぶ権利を保障されてこなかった黒人をはじめとするマイノリティの子どもに関心を注いだ。
p.75.
カリーニの姿勢は、人々における権力の分配を民主化しようとする点において倫理的かつ政治的である。レッテルとカテゴリーがはびこるとき、「慣例化した知覚や一般化した知識が問われることはなく」、「現状(Status quo)」は維持される」。しかし一人ひとりが特殊であり、さらに人の特殊性がその人の強さであるとなったとき、現状において不可視となっている人々が人としての地位を取り戻す。
p.100.
公教育において、すべての子どもに協同的な学びが保証されると共に、民主主義の作法が培われるならば、やがては全ての人々が、各々の個性と文化をもってアメリカの現在と未来に参与できるようになる。1960年代から1990年代の進歩主義教育において構想されていたのは、一人ひとりの個性的な解放と、それをとおしての社会民主主義のアメリカの実現であった。
p.184.
三点目
ノースダコタ評価研究グループの組織としてのあり方に見られる葛藤を論じている点です。
進歩主義教育を志向する組織そのものが民主的なのか、マイノリティ擁護ができているのかという点にも、本書は言及していきます。
ノースダコタ評価研究グループのメンバーがしばしば回想するのは、白人の研究者を中心に発足したノースダコタ評価研究グループにおいて、1980年代半ば以降は教師について、1980年代後半以降はマイノリティの人々について、グループにおける彼らのプレゼンスが増すような努力がなされたということである。
p.128.
このようにノースダコタ評価研究グループが人種・エスニシティの多様性を増す一方で、「リベラルな人々の集う同グループにおいても、人種と差別を巡る議論に伴う葛藤は依然として深い。」と述べ、組織のあり方の難しさを指摘している点が印象に残りました。
若い白人男性の出席はきわめて少数となり、アメリカ社会においては人種間の反目が激化している。ノースダコタ評価研究グループが今後いかなる道をたどるか、見通しは混沌としている。
p.136.
こういう論点というのは、例えば、民主的な教育を目指す組織自体の民主性を問うような、日本の多くの教育研究組織にも関連しうるような、重要な示唆を含んでいるように思いました。
以上です。