目次は以下の通りです。
1 Progressive Education; A Definition
2 Old Wine, New Bottles
3 Progressive Schools in the 1930s
4 Progressive Education in the 1930s; the Local Perspective
5 Postwar Education; The Challenge
6 Progressive Education under Fire
7 Progressive Education in the Suburbs
8 Postwar Education in Middle America
9 Progressive Education and the Process of Reform
米国の20世紀初頭から1960年頃までの進歩主義教育の歴史を追った本です。
とりわけ、進歩主義教育が公立学校や地域にどのようにインパクトをもたらしたのか?という点に注目しているのが本書の特徴です。
「先行研究は、成功例や特殊事例にばかり注目しすぎている」というのが本書の問題意識でもあります。
また、進歩主義教育の定義を論じる際に、デューイ思想がその中核にあるとしていますが、デューイ思想が、各地域の教育行政や実践レベルでどのように影響を与えたのか、という点も考察しています。
考察がなされる地域は、シカゴ周辺の諸地域を中心としつつ、カリフォルニア、ニューヨークなど様々にあります。著名なウィネトカも事例分析がされています。
また、全米全体の進歩主義教育の盛衰について、概説を整理してくれているので、そういったテキスト的理解でも参考になります。
本書の考察において、進歩主義教育が繁栄・普及する場面も描かれていますが、どちらかというと、進歩主義教育が批判されていくときのプロセス、カリスマと言われた教育長らが辞任に追い込まれていくプロセスが詳述されています。
コミュニティの状況(例えば、文化、住民、財源など)との関係性はとても重要で、ウィネトカにおいても、1930年代の栄光の後に、進歩主義教育が衰退していく背景としてコミュニティの問題が挙げられていました。同様に1930~1960年の間で、コミュニティの特徴が変化することで、進歩主義教育の受容が大きく変容する事例が複数挙げられています。
印象に残ったのは、住民にとっての税負担がかかる教育政策を断行しようとした際に大きなブレーキがかかったりすることや、進歩主義教育に対する保護者からの批判が大きな脅威になることなどです。これは今も昔も同じというか、理念がよくても、それを実体化する戦略がないと上手くいかないことを実感させられました。
進歩主義的な教育を本格化させていくためには、学校の校舎を含めた改革が必要になってくるケースが多いですが、そのためには政治を動かしていく必要が出てくる。追い風の場面ではよいのですが、地域変化やキーパーソンの登場など変化が起こると、一気に批判にさらされることもある。そういった盛衰に焦点化しているのが本書の特徴ともいえます。
また、こういったプロセスを経年的に見ていくからこそ、進歩主義教育が能力別編成の論理と親和性を持ってしまう場合もあることや、改造主義を強調しすぎた改革がある日を境に猛反発にあってしまうことにも、リアリティが増しています。
また、本書のキーワードの一つが「レトリックと現実」です。
理念レベルでは、「進歩主義教育」「進歩主義」という言葉が語られている地域でも、実践やカリキュラムレベルで詳細に見ていくと、中身はいたって伝統的な内容であることが多いということが、本書では明らかにされていきます。
とりわけ、戦後教育の文脈で、デューイ思想が現状適応や生活適応として読み替えられていくプロセスが象徴的であるようにも思えました。デューイ思想の実践レベルへの普及に関しても、戦略的な視点が足りなかったと本書では指摘がなされていました。
進歩主義教育が及ぼす影響を地域レベル・経年レベルで批判的に分析する手法、レトリックと実態との整合性・齟齬を批判的に考察しようとする視点は、その後の研究に大きいな影響を与えたように思います。
本書の最後で、進歩主義教育が時代や地域によって、ベストの形が大きく異なるため、教育関係者が変化を恐れず「変化し続けること」の重要性が指摘されています。このことも印象に残りました。
勉強になりました。