目次は以下の通りです。
第1章 近代的人間像を目指して-近代学校の創設と1872年小学教則-
第2章 新知識を有する儒教的人間像-開発主義と儒教道徳の1881年小学校教則綱領-
第3章 天皇制下の忠君愛国の臣民像-教育勅語と1891年小学校教則大綱-
第4章 民本主義の産業社会で実用的な公民像-産業革命と1900年小学校令施工規則-
第5章 皇国の道へ「行」的錬成に励む皇民像-軍国主義の1941年国民学校令-
第6章 第2次大戦後の民主主義社会を担う市民像-経験主義の1947年・1951年学習指導要領-
第7章 経済復興に努力する勤勉な国民像-系統主義の1958年・1960年改訂-
第8章 高度経済成長下、生産性の高い目的追求型の国民像-構造主義の1968年・1969・1970年改訂-
第9章 成熟社会で多様な価値観の国民像-「ゆとり」志向の1977年改訂-
第10章 生涯学習社会を自己教育力で切り拓く国民像-新学力観の1977年改訂-
第11章 不透明な情報化時代を生き抜く国民像-「生きる力」志向の1998年・2003年年改訂-
第12章 グローバルな知識基盤社会で活躍する日本的市民像-「活用能力」志向の2008年・2009年年改訂-
第13章 知識創造社会で学びを変革する日本的市民像-コンピテンシーを育む2017・2018年改訂-
4月からの授業準備の一環で読みました
(改訂前のものをは読んでいたのですが、実質的には読み直した形です。)
近世から始まり、現代にいたるまでの学習指導要領や国家的なカリキュラムの理論的変遷をまとめた本です。
学習指導要領の説明というのは堅くなりがちな気がするのですが、実に読みやすく、各時代の理論的な変遷と、時代背景との兼ね合いが分かりやすいです。
学習指導要領自体は戦後にできたものですが、戦前からの説明からの延長線上にあることで、戦前戦後の類似点・差異なども見えやすくなっている気がします。
読んでいて印象に残った点をいくつかメモしておきます。
一点目。
戦前に構想された尊王思想と儒教思想を融合させることの理論的な問題点について述べられています。
これ以外にもそうなのですが、時代の変化が進む中で、何とかそれを抑え込む国民への態度形成をしようとする感じが、合理性というよりも、社会の変化への応答として出てきた対応なのだと実感しました。
「尊王」はむしろ封建主義の道徳に近く、「愛国」の観念は近代思想ですが、これは忠君愛国とも言い換えられるように、奉献道徳と近代思想とが整合しがたい矛盾に満ちた概念で結ばれています。なぜなら、「忠君」は君主のために命を捧げることを意味し、「愛国」は祖国のために革命を起こして王制を倒す考え方を含むからです。「尊王」と「愛国」との接合は容易なことではありません。また、日本の近代化・資本主義かには合理主義のエートスが必要であり、これと封建主義道徳との矛盾はどう処理するか、本質的には大変困難な問題を抱えていますが、ここでは、ひとまず授業主義は天皇制とは矛盾しないと強弁し、その道徳を教育することで、近代化のもたらした醇風美俗の破壊と反政府運動に対処しようとしたのでした。
pp.33-34.
それゆえに際立つのが、戦前の教育研究と儒教思想などとのかかわりです。
東京師範学校の高嶺秀夫の存在。35なども紹介されています。東京師範学校、若林、白井の9原則の原則を踏まえて、以下のようにも述べられています。
これら9項目は、児童の完成を尊重する近代的な教育原則であり、当時の教師達にいかに驚きと感動を与えたか、一読しただけで推測することができます。多面、儒教主義教育政策との不一致も容易に推察できます。日本の近代化の教育は、それとは矛盾に満ちた授業主義道徳との接合を模索することになりました。
p.36
また、儒教思想を否定した森有礼が儒教思想を重視する勢力からの反発を受け、結果として、「教育勅語への否定的媒介」を果たしたという話(p.46.)も、関連するように思いました。
二点目。
戦前期において、特に戦中期において、合科学習が推進されていたことです。
国民科の中の四科(修身・国語・国史・地理)などの関連性はもちろんのこと、各教科の関係性を密接にとって、皇国の道への「錬成」を志向していたことが分かります。
とりわけ印象に残るのは、この時期に、「従来の教科目は、学問系統の分化から編成されたのですが、今回は教育目的から教育課程の編成を構想した」〈p.86.〉という話です。
戦時期にこそ、むしろ教育目的を軸としたカリキュラム編成が進んだという点は、考えさせられます。
軍国主義化の人間像として、以下のように説明がなされています。
教育課程の基準では、従来の領域概念よりも能力概念が重んじられ、随所に育成すべき「力」と「能力」が明示されています。たんに各教科などの領域の知識を与えればよいというのではなく、それらが確実に機能するための能力を育成することが要請されています。その意味で、これまで以上に科学的な知識と技術が求められ、創造的で開発的な自ら考える力が求められるようになりました。そのために実験的で実践的、あるいは体験的活動を通しての学習が重視されるようになりましたが、さらに「行」的に「錬成」することが求められています。
pp.93-94.
三点目。
主に戦後において、就職組と進学組など、異なるニーズに対するカリキュラムであったり、多様化する教育ニーズに対するカリキュラムのあり方が、差別教育なのかどうかという点が何度も論争点に上がっている点です。
1958年改訂で、中学校でも、中学校で、進学・就職組の2コースが実態として進行したこと(p.129.)や、1960年改訂において、高校の科目がA・Bなどの分類されたことについて、「要するに、普通課程の同一教科目でも、就職組用と進学組用とに分けて教育内容が編成されたことを意味するのです。」(p.132.)などと指摘されています。科目をA・Bと分けることなどについても、日教組から差別教育批判であると当初批判が挙がったそうですが、時代をその後も辿る中でも、その論争点は絶えず表面化しているように思いました。
とりわけ、1998年改訂頃から出てきた個性化・個別化の議論に関しては、格差の問題と兼ね合わせて考えていく必要があるのだとも説明されています。
(1998年改訂時期について)今までは集団的画一主義の時代、これからは個性化の時代だ、あるいは個別教育の時代だというふうに転換されつつありますが、個性化教育と個別教育が競争原理と一緒になって出てきていますので、ちょうど個性化と格差とが表と裏の対になっている関係です。
p.201.
これらの論点は現代の個別最適化の学習などの論点とも通底する議論のように思います。
四点目。
経験主義か系統主義か、といった二項対立を乗り越える視点を提示しようとしている点です。
本書では、「教育の現代化」を「二項対立を止揚して、その両者の長所を統合した構造主義の教育課程を志向したもの」〈p.153〉と述べていますが、同時にそれが「教育現場不在」〈p.157〉であったとも指摘しています。
こういった、現代化の論点は、現在の「見方考え方」の議論にもつながってくる。
「見方・考え方」の重視については、「教育の現代化」を重視した1968年改訂においてブルーナーの構造主義が採用された時代がありました。物理・数学の内容的知識よりも学的構造と方法論の教育を重視することで、理数的能力を高めようといたのですが、教科書開発と教員の資質改善の点で成功しませんでした。今回は、コンピテンシー論と絡めることで、汎用性のある能力を育成しようとしていますが、逆に悪しき実用主義に堕しかねませんので、科学性と実用性のバランスがとれた教科書開発と授業実践が難しいのです。
p.261.
五点目。
カリキュラムを実施する上での、教師教育や環境整備の必要性について、何度も言及がなされている点です。
「総合的学習の時間」の導入は大変良いことでしたが、これを正しく導くためにはその本質的理解と高い教育的能力が不可欠で、特に教員の調査研究に対する資質古城なしにはとても指導できるものではありませんから、本来なら、総合的な学習を導入する10年まえに教員養成と現職教育を大学院修士レベルに挙げておくべきでした。そのほか学校の人的・物的環境条件の問題も大きいのですが、いずれも後手に回ってしまいました。それでも、この時の学習指導要領が、ようやく新しいコンセプトの教育課程づくりにむけて動き出したことに意義を見出したいと私は思います。
p.224.
各所の改革において、「教員や生徒の意欲だけでなく、かけられる時間、人的・物的リソース、費用なども必要」(p.298.)などの指摘もなされています。
最後に以下のように述べられています。歴史的考察の重要性を感じる場面にもなりました。
本書で明らかにしたように、「ゆとり教育」は、批判される意味での「ゆとり」ではなく、新しい時代を切り開くための挑戦的な教育課程改革でした。21世紀を展望した時に、どうしても従来の路線を変えざるを得ないので、「総合的な学習」を軸に教育課程の構造改革を遂行したわけですが、その成否は短期間で測れることではありません。
p.307.
以上です。