目次は以下の通りです。
第1部 専門的知識と行為の中の省察
・専門的知識に対する信頼の危機
・技術的合理性から行為の中の省察へ)
第2部 プロフェッショナルによる行為の中の省察―いくつかの文脈
・状況との省察的な対話としての建築デザイン
・精神療法―固有の宇宙をもつ患者
・行為の中の省察の構造
・科学に基礎を置く専門的職業の省察的実践
・都市計画―行為の中の省察を制約するもの
・マネジメントの〈わざ〉―阻止ク学習システム内のでの行為の中の省察
・行為の中の省察の類型と制約―職権を超えて共通するものに注目して
第3部 結論
・専門的職業の意味と社会における位置づけ
「リフレクション」「省察」などの概念を考える上で、日本の様々な領域に大きな影響を与えたドナルド・ショーン。本書は彼の代表的著作です。
包括的に理解したとは言い難いですが、印象に残った点をいくつかメモします。
一点目。
厳密性にのみこだわる視点を捨て、沼地に入れ、という点です。
ただ、そこでは「厳密性か適切性か」のジレンマが常に付きまとう。
「厳密性か適切性か」をめぐるジレンマは、他の領域よりも実践の領域において一層はっきりと生じる。専門職業的な実践の位置づけは変化しつつあるが、この実践の位置づけには一方に、実践者は件空をベースとした理論と技術を効果的に活用できるとする、いわば地質の硬い耕地があり、他方には技術的解決が不可能なほど「乱雑」な状態になっている、ぬかるんだ低地もある。しかしながら、高地の問題が簡単ではないのは、彼らの技術的関心がたとえ高いとしても、クライアントや広い社会から見てあまり重要とはいえないことが多い点にある。高地に比べると沼地の方が、人間にとって最大の関心事になる。実践者は、厳密性を理解し、実践を厳密におこなうことのできる地質の硬い高地に留まるべきなのだろうか。でもその高地では、社会的にみてあまり重要ではない問題にかかわるだけにとどまるのではないだろうか。あるいは、沼地に下りて、技術的な意味での厳密性をすすんで捨て去り、とても重要で、挑戦しがいのある問題に取り組むことになるべきだろうか。
pp.42-43.
プロフェッショナルスクール内におけるこの種の分裂は耐え難いものであり、深く志向する学生や実務家は、この分裂から生じる「厳密性か適切性か」というジレンマの、とりわけ痛みを伴う変種を抱え込むことになる。なぜなら、経営科学および経営技術を応用することが厳密性のあるマネジメントなのだとすれば「厳密性のあるマネージャー」であるためには、たいていの日常生活で用いている〈わざ〉をあえて無視せざるをえなくないからである。
p.258.
二点目。
実践の中における〈わざ〉に注目すべきという点です。
そして、そのような〈わざ〉に注目するからこそ、行為の最中に暗黙裡に考えていることを振り返るような、行為の中の省察(reflection in action)が必然的に必要になってきます。
実証主義の認識論に代わって、〈わざ〉を中心とする直観的なプロセスに暗黙に作用している実践の認識論について、探究を深めることにしよう。この実践の認識論は、実践者が不確実で不安定、独自で価値観の葛藤を孕む状況をもたらすような認識論である。
p.49.
同時に、省察する力を育てるために、実践者自身の直観的な知を記述することが、さらなる発見や行為を生み出していくために重要となります。
ここら辺の話は、リフレクションの方法に関する話とも関連してくると思いました。
直観的な知を記述することが省察を育て、探究者に批評やテストや自らの知識を再構築することを可能にする。実践者を表現することの不完全さは、省察の障害にはならない。・・・(中略:斉藤)・・・ある種の記述は、行為の中の省察に対して他の記述より適合しているが、あまりよい記述ではないものの、探究者に批評的で彼の直観的な理解を再構築し、状況を改善し問題をふたたび意味づける手がかりを与えるような新しい行為を生み出していくには十分なのである。
pp.295-296.
三点目。
〈わざ〉に注目することにより、実証科学優先の時代にあった、理論と実践の分裂、厳密性か適切性かという対立を乗り越えられるという点です。
実践の文脈自体に、様々な〈わざ〉、関連する理論、システムなどの観点などを総動員して、考察し、わざの限界や、その別の選択肢を模索する道が想定されているように感じました。
マネジメントの〈わざ〉には、行為の中の科学のようなものが含まれるといういうことが認識されるならば、マネジメントの分野における分裂は解消し始めることになると思われる。マネジャーが実践中にその〈わざ〉を発揮している時、そこには独自で変化しやすい状況についてのモデルを作り上げる能力、その場での実験をデザインし実施する能力が現れる。また、状況のもつ意味や行動目標について省察する能力も示されている。凄腕のマネジャーが実際にやっていることを展開して詳細に記述するならば、より包括的、実用的、且つ省察的な経営科学が構築できると思われる。そうなれば、実務家は経営科学を活用する人であるのみならず、経営科学を発展させるひとともなりうる。しかし、〈わざ〉を展開して詳細に記述するということは、〈わざ〉そのものと、その限界について省察することを意味する。つまり、マネジャーが実際に行為の中で省察を行うやり方や、それを規制する使用理論や組織学習システムについて省察するということである。
pp.284-285.
以上です。