読書メモ

日本生活教育連盟編(1998)『日本の生活教育50年:子どもたちと向き合いつづけて』学文社

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目次は以下の通りです。

序章 子どもたちと向き合いつづけて
第1章 前史・生活教育への道
第2章 戦後「新教育」の展開とコア・カリキュラム連盟
第3章 現実を直視した教育の創造
第4章 地域に根ざす教育の創造
第5章 子どもの全体的発達をめざして
第6章 子どもが生きる学校づくり
第7章 自立と共生への道
第8章 生活環境に生きる教師たちの群像

コアカリキュラム連盟から発足し、今も日本生活教育連盟として活動を続ける組織の理念や変遷などがエピソード豊かに描かれています。

生活教育の名称については、戦前からの教育の実践を含め、外来思想ではない、日本に根付いた教育のあり方から由来が説明されています。

この思想(コアカリキュラムの思想:斉藤註)は、単に当初初めての外来の思想ではなく、我が国においても戦前からすでに語られ、一部に実践されてきた「新教育」の原理でもあった。とりわけ、そこにおいては、子どもたちの生活と教育との遊離が問題とされ、その結合と統一がめざされた。人々はこれを「生活教育」という用語で呼んだ。ⅰ

p.ⅰ.

本書を読んで一番思うのは、非常にエピソード豊かに50年間の変遷が描かれていることです。当時の人々の回想録も多く、各地のサークル活動の様子なども、当事者の語りでイメージしやすいです。
同時に、1950年代、60年代、70年代、80年代とそれぞれの論点の異なりが背景となる教育史的状況と関連付けられています。(例えば、受験競争、荒れの問題、教師批判、教師の多忙化、会員の減少であったり、民間教育団体への批判、地域に根ざす実践の必要性。など)
そういう意味でも、読みごたえがあります。

同時に、非常にザックリとした私のまとめとなってしまいますが、
1960年代頃に、社会科を守るために総合学習から一旦手を引いた団体が、その後に様々な教科研究を蓄積し、「総体としての子どもの生活を見据え」る視点を自覚化し、1980年代になって、総合学習の可能性に再度注目していくプロセスなども印象深かったです。

印象に残った点をいくつかメモします。

一点目。
問題解決学習における教師の専門性の問題がだんだんと浮上してくる点です。
これに関しては、他の民間教育団体とも類似する点があるとは思いますが、教師の専門性をどう捉えるか、その難しさを再認識できます。だからこそ同時に、地道なサークル活動の大切さが際だっているともいえます。サークル運営が大変そうな時期が各地で報告されていますが、それを乗り越えて運営している皆さんの想いも同時に文面からみなぎっています。

問題解決学習の研究を進めていくためには、何よりも教師の諸科学の専門的研究が不可欠である。単元の校正と展開に当たっては、学習指導に必要な資料の整備や、実践記録の集積にも手を回さなければならない。このようなことを、異なる条件の下で学校・学級経営に臨んでいる教師に、一律に要求することは難しかった。そもそも、問題解決学習の研究課題を教師が進んで担えるような環境は狭められていたと言ってよい。

p.93.

二点目
日生連が、理論化・定式化に対する距離感を取るスタンスが分かります。特に明確なのは、日生連と全生研の手法の違いが論点となって議論がなされた際のことです。「日生連の実践はドロドロしたものだ」(p.281.)という表現は、授業の手順を定式化しようとしない日生連の長短所を現した表現でした。
その上で、以下の文章が印象に残りました。

会員からは「どろどろとして活動は、今の体制の中では大切にされなければならず、一つの形式で全てを分かりきろうとする発想は危険である。一般化も急いでするのは避けた方が良い。今の文化の荒廃は単純には規制できない。この本を読めばすべてできるなんてものはないんだ」「自分の生活をきちんとみつめ、そのなかから要求を引き出し思想性を育ていくことだ」「一面的理論化は記念でる。民主的動きのなかに教師も子供もいるのだ。」

pp.281-282.

三点目
「教育課程の自主編成」に込められた意図についてです。
日教組の総合学習の試案の存在は有名ですが、それをまとめた梅根自身が、1976年代28回夏季大会で「本当の自主編成というのは、このようなものではなく」と語っている部分が印象に残りました。学校レベルでのユニークな自主編成を促す条件や環境とは何なのか。これは現代にも通底する論点のように感じます。

この集会の全体会で梅根委員長は、多少もつれがちな足をひきずって登壇し、これが委員会として最後の発言となった挨拶をおこなった。そのなかで、梅根は、日生連28年の歩みを回顧し、今から二十何年か前に日教組が「教育課程の自主編成」というようなことを言い出して、いま自分もその日教組の教育制度検討委員会、さらにつづいて教育課程検討委員会の仕事を、会長として、改革の試案をまとめてきたけれど、本当の自主編成というのは、このようなものではなくて、以前あったような、それぞれの学校がそれぞれユニークな教育課程をつくりあげ、それを実践して、これを見てくれということで、みんなが集まり教育課程を開くというようなものだ。今は政治の圧力でそういうことができなくなっているが、日生連の仲間はぜひそのことを心にとめてほしい。そして、その本当の意味での自主編成運動をわれわれの手にとりもどす仕事をやっていくのだという気持ちで、この集会で勉強してほしい、そして学校の仲間に広げていってほしい・・・・と述べた。

p.173.

以上です。

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