読書メモ

【本】今井福司(2016)『日本占領期の学校図書館 アメリカ学校図書館導入の歴史』勉誠出版.

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目次は以下の通りです。

第1章 本書の目的、対象ならびに意義
第2章 アメリカにおける20世紀前半までの学校図書館制度および理論
第3章 アメリカにおける20世紀前半の学校カリキュラム改革
第4章 占領下教育改革とアメリカの影響
第5章 戦後新教育実践における学校図書館
第6章 日米の学校教育実践における学校図書館の位置づけ

アメリカからの学校図書館の理論と実践がどのように受容されたのかを考察されている本です。
先行研究などに対して、「占領期に導入されたアメリカのモデルについては、占領期当時に日本で公刊された文献を中心に検討しており、アメリカのモデルがどのようなものであったかについて、すべては検討できていない。」(p.27)とされ、日米の比較に重きが置かれています。

本書の結論としては、学校図書館に関するアメリカの理論の受容が、当時の翻訳や紹介の中で、かなり部分的で不十分な形に留まってしまったことが指摘されています。また、学校図書館サイドとしても組織体制が整い始めた頃に、CIEからコアカリキュラムに対する警戒心が示されてしまったことも、学校図書館と学校の授業実践との接続がうまくいかなかった理由の一つとして挙げられています。

『社会科編I』、『近代カリキュラム』 と 『手引』という、アメリカから日本 への制度を紹介した資料を検討した結果、『社会科編I』と『近代カリキュラム』については、カリキュラムの概要や単元例などはそのまま翻訳されている 箇所があるものの、学校図書館については登場しないか、 登場したとしても説明が付与されないまま単語として登場するのみであった。 これらの点から、仮に当時の実践家が『社会科編 I』 や 『近代カリキュラム』 だけを参照したとし、学校図書館の役割や活動を理解する上では記述が不十分であり、限界があったと思われる。

p.221.

印象に残ったのは、アメリカの理論の受容の際に、日本独自の解釈が加えられた背景についてでした。
社会科を除く各教科が、既存の教科の体系を壊さないように戦後教育改革が進められた背景には、「占領初期において日本の国内に既に改革の動きが 存在し,それと合流する中で独自の解釈が加えられたと考えるべき」とされます。学校図書館についても、単にアメリカの基準を導入するのではなく、従来から 読書教育に関わってきた滑川道夫や阪本一郎の考えを反映させようとする動き があったことも紹介されています。(p.313.)
日本の米国理論の受容過程を見る際に、戦前戦後の流れというのがとても重要な軸になることを再認識できました。

その他、印象に残った点を数点挙げます。

一点目。
全体として、心惹かれる文章や引用文がちりばめられていることです。ここで多くは紹介できませんが、例えば、「教師が図書館の資料に気づかない限り、学校図書館は機能しない。教師は早い段階で図書館員へ授業で必要とする資料を知らせておくことが望ましい。」(p.155.)という文章もそうですし、米国の進歩主義教育学校の実践でも、刺激に満ちた文章が多いです。
日本の戦後初期の文書の中でも以下のものが印象に残りました。

ある一定量の知識を与えることに重きをおかれたいままでの教育では、 教師の直接指導が重んぜられたため、学校や教室は,ただ教育を行う場所たるの役目しか与えられなかった。 したがって黒板といくらかの教具があれば、学校以外の場所で行っても、さしたる不都合は感じなかったのである。これに反し、児童の生活活動に重きをおき、児童の自主的・協同的学習が中心となってくると、学校は単なる教育の場所たるにとどまらないで学校そのもので教育するということにかわって来なければならない。

p.176.

この「学校そのもので教育する」という響き、良いなと思いました。

二点目。
社会科教育においても、読書の指導に関しての言及が複数あること、さらには、戦後初期に少なかった読み物が数年間で増えていったことです。例えば、1951年版の学習指導要領の中で、「終戦直後、生徒の読み物に欠乏していた時期に比べれば、現在では生徒用の読み物もずいぶん増加した。しかし生徒が学習の目標を達成するために、これらのものを有効に利用できるようにならなければ何にもならない。」(pp.198-199)が紹介されています。また、逆に、1947年頃の川口プランの際には「資料が少ないために授業に支障が出たと報告されている。当時は学校図書館整備が十分でなく、その必要性が認識されていたこと」などが紹介されています(pp.268-269.)。
学校図書館はもちろんだと思うのですが、当時の学校教育実践が、物理的にアクセス可能な本や資料に大きく影響を受けていたことが想像されます。

三点目。
戦後初期に、学校図書館を利用した実践が生み出されつつも、コアカリキュラム連盟批判と共に、衰退していった点が紹介されています。
実践としては、内容に差はありつつお、「明石附小プラン」「桜田プラン」 「業平プラン」「福沢プラン」 等も紹介され、 戦後教育改革の中心とされた各種のプラ ンで学校図書館につながれる記述が見られるようです。(p.281.)

ただ、先述のように、1950年に「コア・カリキュラム連盟は行き過ぎである」というオズボーンの書簡が各地の教育委員会に出され、情勢が変わっていきました。このタイミングが、「学校図書館はようやく学校教育との結びつきを模索しようとし始めた」時期だとされ、「学校図書館が浸透しないうちに教育関係者の関心 が冷めていったといえる。 学校図書館は占領期の学校教育実践において十分な 位置づけを得られないまま時間が過ぎていったのである。」(p.315.)と指摘されています。

その他、印象に残ったのは、
デューイの本で学校図書館の話が出てくることは有名ですが、それに関して、実際のデューイ実験学校では、「理念としては必要と認識されていたが、実体が伴っていなかったので、他の報告書やデューイの著作で取り上げられなかったのだと考えられる。」(p.120.)と評価されている点でした。

日本への理論的受容やその背景、学校図書館の位置づけなど多くを学ぶことが出来ました。

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