目次は以下の通りです。
第Ⅰ部 「鎖国」を見直す
はじめに
1 見直される「鎖国」――現状と問題点
2 「鎖国」という言葉の経歴――誕生・流布・定着の歴史的意味
3 近世日本の国際関係の実態
4 東アジアのなかで息づく近世日本――「鎖国」論から「国際関係」論へ
5 鎖国を見直す意味――なぜ歴史は見直されるのか
第Ⅱ部 明治維新と「鎖国・開国」言説――なぜ近世日本が「鎖国」と考えられるようになったのか
1 前口上
2 はじめに――「鎖国・開国」言説ということ
3 近世日本の国際関係の実態
4 終わりに――「鎖国・開国」言説の成立と定着
あとがき 177
「鎖国」という言葉が生み出された歴史的経緯や、その実態との齟齬を様々な視点から論じています。結論として「鎖国」は当時の実態を正確に反映していない、というのが本書最大の主張です。
近世日本の国際関係の実態は、いわゆる「鎖国」ではなく、必要にして十分な国際関係を維持し、それによる平和のもとで緩やかな発展と進歩を達成し、それが維新後の急速な近代化の礎となったという史実を提示します。
p.118.
その背後には、江戸幕府による統制や、四つの「口」からの交易、さらには、盗難アジアに広がる交易ネットワークの存在があったことが紹介されています。
例えば、
・中国本土だけではなく、東南アジアの華僑の交易ネットワークの誕生と往来の存在したこと(p.58.)
・海外で活躍する華人たちの民間レベルのネットワークと、朝貢貿易に典型的にみられる国家権力によって構成されるネットワークの間での鋭い対立関係があったこと(p.75.)
・14~15世紀の琉球の中継ぎ的な貿易拠点の反映とその後の変化(p.76.)。中世において持っていた地位と機能が、港市と倭寇やヨーロッパ勢力、日本人などに分有されていく過程(p.88.)
・16世紀。中国の朝貢貿易体制のプレッシャーが弱まり、民間レベルのネットワークが表舞台に出てきて、「倭寇的状況」が生まれたこと。(p.78.)
など、多様な利害関係や変化が説明されています。結果として、アジアでの繋がりの豊かさの意味が論じらていきます。
「倭寇的状況」という観点からすると、ヨーロッパ勢力は、重要ではあるが当時この海域で活躍した諸勢力のうち一つとして相対化され、東アジアの人々の歴史的力量を正当に評価することができる、というのがこの言葉にこめた私の想いなのです。
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また同時に、「鎖国」という言葉が創られていく過程についても詳述されています。
例えば、その背後で、ヨーロッパの日本に対する意見が、鎖国肯定論(17世紀~18世紀)から鎖国否定論(18世紀後半~19世紀)に変わっていくプロセス、その背後にあるアジアに対するヨーロッパからの認識変容は、非常に鮮明で驚きました。
また、結果として、富国強兵を妨げる負の遺産としての「鎖国」が強調され、19世紀末の近代化の成功と共に、「鎖国・開国」言説が、近代日本人のナショナルアイデンティティを強化する一役を担ったこと(p.116.)が示されています。
その他、江戸時代という緩やかな発展の背後で、琉球,奄美の人々、アイヌの人々が下敷きとなり苦しい生活を強いられたり、搾取されていた点(p.106-107.)への指摘も重要だと感じました。
これらの点を含め、実は「鎖国」をめぐる言説や語られ方自体が、現代社会との類似性を想起させる。読んでいて私はそのように感じました。
以下の二つの文章が印象に残りました。
私は常々、近世日本が「鎖国」なら、現代日本も「鎖国」だと言ってきましたが、この議員らしき人物をはじめ、このような発言をする人たちは、現代日本の国際関係が、特に一般国民にとっていかに「制限」まみれであるかということに気づいていないのでしょう。
pp.126-127.
「鎖国」だった、あるいは自給自足の経済だったと言い切ってしまうことは、このような境遇に置かれた人たちの存在を切り捨て居ること、視野から落としてしまうことに繋がるのです。そういう意味で私は、「鎖国」という言葉は絶対に容認できないと思っているわけです。実は、現在の私たちの生活も、似たような形で世界の人々の生活ともつながっている、ということを忘れないようにしたいと考える次第です。
p.107.
世界史の中での日本史というスケール感が感じられる本です。