目次は以下の通りです。
序章 都市と人類の発展―人間の鏡としての都市
第1章 都市とは何か―都市と権力の概念と論理
第2章 都市の建設―都市形成の論理と権力
第3章 都市の威容―舞台としての都市
第4章 上演されるドラマ―人間・国家・秩序
第5章 都市の思想―都市的人間と反都市主義
終章 都市論の新たなパラダイムを求めて―都市へのもうひとつの視角 (編集済み)
都市がどのように権力をもち、他を支配するのかについて、歴史的な様々な都市を事例として論じています。
都市の支配を示す本書最大の論点は、先進国と途上国の食糧問題の対比であったり、都市と農村での飢饉発生時などの対比などに示されています。
現在、世界には相対立する二つの農業問題がある。ひとつは先進国での農作物の過剰生産の問題であり、もうひとつは第三世界での食糧不足の問題である。
p.16.
飢饉の深刻さを説明するために出てくるのはどこでも農村だということである。では、そのとき都市はどうだったのだろうか。・・・(中略:斉藤)・・・東北の農村に大惨事を引き起こした天明の大飢饉に際しても、弘前、八戸、盛岡などの城下町や江戸での餓死者はその所領の農村と比べて、あまりにも少ない数でしかない。
pp.20-21.
また、都市の出現により、村落が農村化していき、都市を中心とした支配構造がつくられていくことがハッキリと分かります。その中には、都市を核とした「交通網、輸送路の発達」(p.77.)も該当すると思います。
地方の農耕民は都市の人的、物的資源の場として支配を受け入れるにつれて、「農民」となっていったのである。都市は外部の村落を農村として内部化すると共に、そこでの生活を秩序付けていった。都市を構成する核となる権力が政治、経済、宗教などのいずれの権力であれ、地方は都市の権力にくみこまれるほどに、歳への生活物資の供給地としての性格をを強化することを余儀なくされた。その意味で〈都市化〉と〈農村化〉は表裏一体のものなのである。
p.69.
やはり、農村側の立場的な弱さを強烈に感じました。その一例として、都市の飢餓は暴動に発展し得るが、農村の飢餓は諦めへと帰結すること(p.145.)などは象徴的でもあります。南アフリカを揺さぶったのは都市の黒人だったこと(p.153.)など、歴史をそのように見ていなかったので、気づきが多かったです。
また、本書の中盤では、都市の建設や演出自体の持つ政治的な意味について、説明がなされています。都市の建設や増設はそれ自体に多くの動員を強制する一方で、その華やかさや儀礼を含んだ趣向全体に権力を内包しているという点も印象に残りました。
全体を読んだ印象として、都市が農村を支配し、先進国が途上国を支配する構造は、一見すると見えにくいという点です。だからこそ、それを分析するフレームが必要なのだと感じました。
今日、先進国と途上国との貿易は、きわめて緻密に組み立てられたルールにもとづいて行われている。その技術的合理性は、搾取される人たちにとってすら”正当”だと思われるほどのものである。逆説的にいうと、先進国の都市の生み出した「文化」は途上国の人たちにとって、いやそれどころか社会主義国の人たちににとってさえ、魅力的であるとともに近代化に欠かすことのできないものと映った。
p.194.
ここら辺の話は、『人新世の「資本論」』の論旨と重なって読めました。
学生時代に読んだ本書を読み返しながら、懐かしい気持ちになりました。