目次は以下の通りです。
第Ⅰ部 総論 初期社会科の成立と展開
第1章 初期社会科成立の背景
第2章 初期社会科教育の展開
第3章 初期社会科教育実践史研究の動向と本研究の位置づけ
第Ⅱ部 各論 初期社会科実践の展開
第1章 社会科を中心とするカリキュラムの開発―昭和22~24年の教育実践―
第2章 初期社会科実践の転換―昭和25年~26年の教育実践―
第3章 社会科における問題解決学習の実践―昭和26年~30年の教育実践ー
主要参考文献
教育関係年表
あとがき
本書の目的として以下のように述べられています。
本研究の目的は、全国各地の多くの小学校で編成され実践された初期社会科の優れたカリキュラムや実践記録を取り上げ、それらを構造的に分析することによって、それぞれの特質を解明することにあります。
p.3 .
個人的には、「初期社会科実践とは?」という問いを考えるうえで、とてもバランスの良いというか、理解しやすい本だと感じました。
第Ⅰ部の「総論 初期社会科の成立と展開」では、戦後初期の学習指導要領が刊行されるに至るプロセスや、そこでのポイントを端的にかつ丁寧に書いているように感じました。
22年版の指導要領が出るまでの経緯についても詳しく書かれており、参考になります。
昭和26年に出た学習指導要領を「もっとも社会科らしい社会科」と捉えています。
要するに、昭和26年版『要領』は、最初の昭和22年版『要領』がもっていた超広領域的な内容領域や羅列的に示されていた目標を、一教科としての社会科の観点から統合し直し、四カ年の実践をふまえて日本の教師たちが実践しやすい形に構成し直したものであった。それは学習指導要領レベルとはいえ、もっとも社会科らしい社会科と評されるもので、初期社会科のひとつの完成形態を示すものと見なしうるものであったのである。
pp.28-29.
印象に残った点をメモしておきます。
一点目
初期社会科の教育実践が様々に紹介されているのですが、随所で、各実戦の比較が行われており、初期社会科と言っても一枚岩に語れない多様性があったことが実感しやすかったです。
例えば、西条プランと明石プランが比較され、基礎学習と中心学習を別々に設けている明石プランと、それを独立させなかった西条プランの違いなどが挙げられます(pp.96-97)。
また、「奈良プラン」とコア・カリキュラムの違いとして、コア・カリキュラムが中心過程を援助するものとして、基礎課程・補助課程が位置付けられているのに対して、奈良プランでは、「しごと」「けいこ」「なかよし」が独立した時間として位置付けられていること(p.189)なども挙げられると思います。
こういう風に事例を通して比較されていることで、読者目線で、初期社会科の多様性が分かりやすくなっています。
二点目
代表的なプランや『26年版社会科』に対しても、批判的なまなざしを向けて検討している点です。
特に印象に残ったのは、福沢プランに対する検討です。
福沢プランを「完全なコア・カリキュラムを作ろうとしたところに特徴がある」とし、そのカリキュラム開発について高く評価しながらも、以下のようにも論じています。
社会調査を基礎におき、その調査の視点から浮かび上がってくる現実の地域社会事象を教材とするということは、教科書に示される全国一律の内容を指導して事足れりとしるやり方に対して、戦後教育の革新性の現われとして評価できるものである。しかし、福沢小学校だけではないが、社会機能をもとにした社会事象の捉え方は、それが社会事象を静的にとらえ、動的な面、変化の面を欠落させ、現状肯定の社会科カリキュラムに終わってしまいがちなのである。さらに、福沢プランの場合、社会基礎はいわゆる地理的なもののみから成り、歴史的なものが欠けているのである。また、社会組織も大小の差こそあれ、社会を全体としてとらえさせようとするもので、社会を分析していく力の弱いものであった。
pp.155-156.
また、初期社会科全般に見られる特徴に対しても言及が見られ、個別の事例のみの批判ではなく、射程を広げて論じられています。
この単元の特色は、まず学習課題がきわめて漠然としていて、問題解決学習とはいうものの、日本の漁港や漁業がどのような問題をかかえており、それをどのような方法で解決していこうとするのか、授業展開の論理的構成がきわめて平面で、焦点の不明確なものになってしまっているということである・・・(中略:斉藤)・・・このような傾向は、多かれ少なかれ、昭和20年代前半の問題解決学習に見られた特徴であり、これがやがて、厳しい初期社会科批判を噴出させる原因となったことは、いうまでもないであろう。
pp.339-340 .
三点目
『26年版社会科』の持つ問題点を克服しようとする初期社会科実践について、報告がなされている点です。
例えば、子どもの問題意識と社会問題とを連続的なものにするために、子どもの生活現実、生活感情を分析しようとした深安研究所・御野小の実践(第三章第四節)や、「教材的単元」を導入することで、社会科学的な概念習得も目指した吹上小学校の実践(第三章第五節)などは、それらにあたると思われます。
一般に、初期社会科実践は、デューイの経験主義学習論にもとづき、客観的知識を問題解決の道具としてのみ位置付けるため、客観的知識が探求のなかに埋没してしまう傾向をもっているといえる。したがって、初期社会科実践は、児童が社会科学的な法則的知識を、批判的探求的に習得していくことを可能にする単元構成及び教材構成に失敗したという評価が下されがちである。しかし、森昭の知的探求の理論にもとづいて構成された吹上小の教材的問題単元「東若山付近の町の発展」は、そのような初期社会科実践の限界性を克服しえた実践として、高く評価されると考えられるのである。
p.379.
その他、個人的には、北条小学校の教職員によって現職教育の徹底がなされていくプロセス(p.116.)なども刺激的でした。
このほかにも論点は様々にあるのですが、とても勉強になりました。