読書メモ

【本】冨田明広・西田雅史・吉田新一郎著(2021)『社会科ワークショップー自立した学び手を育てる教え方・学び方-』新評社.

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目次は以下の通りです。

1 社会科ワークショップがもつ可能性
第1章「私」が見た西田学級の子どもたち
第2章 子どもたちと一緒に成長する教師のライフヒストリー)

2 社会科ワークショップの柱
第3章 学習サイクル―亮くんの社会科ワークショップ
第4章 探究サイクルを回し続ける
第5章 学習の主体者へと育てる
第6章 ユニットで子どもたちの遊び場をつくる
第7章 カンファランスで子どもたちの学習を支える
第8章 学習コミュニティーを育てる
第9章 もう一人の教師―教室環境(オンラインで紹介)
第10章 多様な学びを評価する

3 社会科ワークショップで彩る一年間
第11章 探究する力を身につける子どもたち(六年生)
第12章 社会科ワークショップで主体者意識をもって学ぶ子どもたち(五年生)
第13章 生活科ワークショップで学習をつくりだす子どもたち(二年生)(オンラインで紹介)

授業が実践されている風景が目に浮かぶような、具体的なエピソード豊かな語りに衝撃を受けました。

理論的にも説明は詳しくされているのですが、その説明が様々な角度から、異なるエピソードや事例と共に紹介されていくので、自然と「社会科ワークショップ」の考えに読者がなじんでいけるような。そんな工夫がなされているように思いました。

感想を少しメモ。

一点目はカリキュラムの回し方について。

最初のころは2,3時間でテーマ決定から発表まで行けるサイクルにして、慣れてきたら計8時間に挑戦するなど、段階的なプロセスを想定していることがよくわかります。

その際に、学びの主体は生徒なのですが、生徒の状況を観察して、調整やコーディネートするのは教師であり、生徒の様子を見とる教師の役割の大きさを感じます。

子どもたちに「疑問をつくろう」や「テーマをもとう」と言っているだけでは、支援を放棄し、放任していることと同じです。ミニ・レッスンにおいて、友達の面白いテーマを紹介したり、カンファランスで興味をもちそうなテーマを具体的に提案したりすることで、さまざまな発達段階にいる子どもでも安心して学習することができます。     

pp.86-87.  

「テーマ・疑問・問い」のステップと同じく、教師は調べることへの支援も必要になります。テーマに関する本棚を紹介するのか、一冊の本を渡すのか、さらには参考になる部分や付箋やラインマーカーを付けてわたすのか、対象となる子どもの学習によって支援の質や量は変わります。もちろん、調べるプロセスにいる子どもたち全員に行う必要はありません。余計なおせっかい、となってしまう子どももいるでしょう。目の前にいる子どもの状況に応じて、支援の質と量をコントロールしながらわたしていきます。そのためには、授業の振り返りを読んだり、日ごろの学習の様子を観察したりして、一人一人の子どもに応じた支援を準備しておくことが必要となります。

p.89.

カンファランスがカギになるように思います。即興的に問いを促したりするのは職人芸的な感じもしました。

同時に、教師による生徒の観察のノウハウなども書かれており、私は社会科の初志をつらぬく会のような発想も連想されました。また、ペーパーテストを超える評価を実現しようとしていることがリアルに伝わってきます。

二点目は、本書が否定的に捉える授業像について。

本書は、教師が丁寧に学習問題や発問といったレールを敷いて、ゴールに導くような授業スタイルをやや否定的に論じています。

教師が一挙手一投足に至るまで学習問題や発問を設定すれば、子どもは教師の敷いたレールを安心して進むことができますが、教室の多くの子どもにとっては手厚すぎる支援となってしまいます。教師によって設計されすぎているため、子どもにとっては、日常生活から生まれた疑問とはかけ離れものとなってしまいます。本来は、大人も子供も、教師の思う学習展開のようにはまっすぐ進まず、右往左往、行きつ戻りつしながら自分の探究を進めていくものです。狭いレールを走らせてしまうことで、失敗や回り道、寄り道の機会を完全に奪ってしまいます。子どもたちは、望むことを最短時間でインストールする「スマホ」のような存在ではありません。私たちは、ユニットを作るとき、単線型の学習展開ではなく、子どもたちを観察して、学習の範囲やそこで学ぶためのゴールを設計するという「遊び場づくり」のイメージを持っています。

pp.151-152.

「テーマ作りは学習の柱づくり」と教えています。テーマを自分の力で決めるためには、興味関心や背景となる歴史の知識、そして気になるところで立ち止まる力などが必要になります。しかし、それができるようになるまで教師が教え込んでいたのでは、時間数がいくらあっても足りません。ですから、資料を読むにしても、情報をまとめるにしても、今自分がやっている学習の目的をしっかりともち、稚拙な言葉でもよいので自分でテーマを決めるようにしています。

p.272.

ワークショップ型の授業が一斉授業の形式を否定的に捉えているのはよくわかります。

同時に、クラス全体で一つの問いを練り上げていくような、伝統的な日本の授業作りのスタイルもあると思うのですが、そういったスタイルについて、どういった印象を持っているのか、より深く知りたいなと思いました。

個人的には、前に読んだ『授業づくりの深め方:「よい授業」をデザインするための5つのツボ』の話が頭をよぎりました。

三点目は、教師の教材研究と教科の役割について。

たしかに、教師が教材研究を熱心に行えば、もっと深く内容に迫ることができたり、もっと広く知見を得られるかもしれません。しかし、私たちが目指す子どもの姿は、教師の知識を受け継ぐ子どもではなく、自立した学び手です。子どもたちには、一人ひとりにあった支援という形でこたえ、教師がつくり込んだ教材を全員に与えるようなアプローチをとることはありません。    

p.116.

もしも、ある子どもがそのユニットの中で一つのテーマにこだわって学習をしていたならば、その子どもは指導内容の中の一つしか学ばないことになるのでしょうか。例えば、「ごみ」のユニットで「清掃工場」をテーマとして学んだ子供は、「ゴミ取集所のルール」や「リサイクルセンター」については学ばなくてもよいのでしょうか?もちろん、そのようなことはありません。「清掃工場」に関心をもって学んでいる子どもにも、それ以外のごみに関する学習内容を学ぶためのチャンスを確保しなければなりません。たとえば、友だちの発表や共有の時間を通して、清掃工場以外の学習について学ぶ機会があります。      

pp.118-119.    

この点はむしろ、社会科教育学研究で良しとされる授業論との関わりをもっと追求して考えてみたいなと思いました。

(最近読んだもので言えば、『中学校社会科教育・高等学校公民科教育』『社会科授業づくりの理論と方法-本質的な問いを活かした科学的探求学習』も関連するかもしれません。)

お互いが論じている前提や問題意識が異なるのかもしれませんが、
社会科における「知識」や「教科の目的」とは何なのだろうと改めて考えさせられます。


四点目は、ワークショップを実施する教師は、授業のジェネラリストであるべきなのか、教科のスペシャリストであるべきなのか、という点でした。

ワークショップの運営のカギは、カンファランスと日々の生徒の観察やコミュニケーションにあるのは分かったのですが、同時に、即興的に生徒に重要な助言を与え、関連資料をパッと的確に出すことの難しさも感じないわけではありません。

個人的には、デューイ実験学校やアメリカの進歩主義教育の学校が、生徒の人数を少なく絞ったり、教科の専門性のある教師を求めたりするような場面が連想されました。ワークショップの授業作りにおける教科の専門性って、何なんだろうなあと。
(先日読んだ『デューイ実験学校における授業実践とカリキュラム開発』に私が引っ張られている気もします。。)


色々と感じたことを書きましたが、すごく面白そうな授業風景ばかりで、
だからこそ、この「社会科ワークショップ」がどうすれば実現するのかについて、今後も学んでいきたいと感じます。

いずれにしても、衝撃的な本でした。大変勉強になりました。

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