本の帯に、鈴木寛先生が「新学習指導要領のベースにある考えを完全理解できる必読の書」と書かれています。
実際、読んでいて、新学習指導要領の文言を想起する場面が何度もありました。
目次は以下の通りです。(カッコ内は章内の節です。)
序文
1章 思考する教室
(授業風景/脳のはたらき/相乗的思考/知力の発達/教科特有の思考方法と実践方法/思考する教師と生徒)
2章 「知識の構造」と「プロセスの構造」
(知識の構造/プロセスの構造/知識とプロセスの関係/教育者のためのパラダイムシフト/学年ごとの概念的理解の形成)
3章 概念型の指導単元を設計する
(学際的単元と教科専門単元の設計/概念型単元を設計するためのステップ/トピック型単元と概念型単元の比較/単元マップを理解する/学年とともに進む概念的理解/アクティビティーvs理解を測るための評価課題/単元の設計に関するQ&A)
4章 概念型の授業における探究学習
(演繹的指導と帰納的指導/探究学習/概念型授業の設計・問題とその解決策/社会と国語の学際的授業案/授業をより概念型のものにするにはどこから始めたらよいか)
5章 概念型教師の成長と自己評価
(教師の態度と信念/成長する概念型教師のルーブリック/概念型の授業において一人ひとりをいかすには/誤解を紐解く)
資料集
著者らが「従来型の授業」に感じている問題点が所々で書かれています。
その問題点とは、大まかには、学んだことがその後の人生にどう役立つか・関連づくか分からず、つまりは「理解することなく」学んでいる、という点にあるように思われます。
私たちの多く、また、残念なことに生徒の大部分は、教わったことのほとんどを忘れてしまう。印象に残るのは、理解できなかったことや、その時に味わった落ち着かない気持ちだろう。あるいは過去の学習の断片は覚えていても、その学習が誤解に満ちている場合もある。多項式方程式を解く手順を全部覚えている人がいったい何人いるだろうか。多くの人は覚えていない。なぜなら、私たちが高校で多項式方程式を解いているときに、その課題が現実の世界に関連しているとは理解していなかったからだ。実際、最後に多項式方程式を解いたのはいつだろう。おそらく高校であろう。記憶が失われている理由はまた多項式について学んでいるとき、公式や定理の背後にある概念についてけっして本当には理解していなかったせいである。私たちは、理解することなくアルゴリズムを「やっていた」のである(Lanning, 2013)。
p.52.
そして、本書で求められるのは、概念的な理解を伴った学び。
(本書では、概念的思考の定義を示していたりもするのですが(p.31.)、個人的には、もう「概念的『理解』」が重要なんだと説明してしまう方が分かりやすいかなと思っています。深い理解を促すために、思考が必要だという関係性だと思われます。)
この概念的な理解を考える上で、異なる文脈に応用できるような「学習の転移」の考え方が重要となります。
例えば以下のように書かれています。
学習の転移
pp.21-22.
知識とスキルを新しい文脈、類似の文脈に転移できる能力は、より深い理解が生じ、高次の思考が行われたことを証すものである。パーキンスとサロモンは(Lanning, 2009)、転移の説明で、個人の学習が新しい文脈に移る現象を、「近い転移と遠い転移」という2つに区分した。問題や課題が非常によく似ている学習の転移がかなり用意に起こる場合は、近い転移と見なされる。たとえば、普通車を運転するスキルは、慣れていないトラック運転に転移し、これは近い転移といえる。遠い転移とは、2つの学習状況に繋がりが感知され、より深い学びを転移させようとすることをさす。電気系統がどのように機能するかについての知識を使って、循環系の動脈や静脈の仕組みの理解が促進されるのは、遠い転移の例である(Lanning, 2009)。これが、生徒の複雑な世界を生きていくなかで最も役に知立つ転移のあり方である。「概念型のカリキュラムと指導(CBCI)」は、こうした転移の発生を成り行き任せにせず、意図的に遠い転移を促進するように設計されている。
このように、学んだことを他の文脈で使えるようにすることが重要となる。
ただ、このような転移を促すことは、「生徒が自分でやること」ではなく、綿密な設計が必要となります。
従来型の指導をしていれば生徒が概念レベルの理解に達するというのは根拠のない思い込みである。実際、筆者らは何年にもわたって教師が概念理解の文を作成する手助けをしてきたが、それをとおしてわかったことは、概念レベルまで生徒を指導するには技術が必要で、その技術の習得には訓練を要するということだ。事実に関する知識から深い理解を引き出すのは容易なことではない。そこには、事実とスキルばかりでなく、重要かつ転移可能な理解をうながす思考が要求される。
p.12.
このように、概念的な理解を生み出すような設計が求められる。
その設計の鍵となる考え方が、「3次元モデル」と呼ばれるものです。これは従来型の教育を「2次元モデル」として批判した上で提唱されている考え方です。
考える力を養う授業では、CBCIのモデルを使っている。これらのモデルは知識の習得と同様に知力の発達にも重点を置いており、従来型のモデルと比べ、本質的により洗練されたものとなっている。
p.10.
CBCIは三次元で構成される。つまり、カリキュラムと指導は、学習後に生徒が何を、
・知る(事実)
・理解する(概念)
・できるようになる(スキル)
べきなのか、に焦点があてられる。
従来のカリキュラムや指導は、2次元で設計される傾向があった(焦点は知識とスキルである)。しかしその設計は、事実を知っていることがいかにもより深い概念的理解に至っていることのエビデンスだとする誤った仮定に基づいている。
もう、新学習指導要領を頭に浮かべずにはいられないですね。
この3次元モデルで考えるためには、例えば、学習の到達目標を設定する際に、
・世界の地域間の経済的な相違を特定する。
p.10.
・技術の変化を比較する(過去から現在)。
こういう表現ではマズイとされます。
これでは、生徒は調査を行い、地域間の経済的相違を事実として記憶するだろうが、そこで思考は停止してしまい、転移可能な概念的思考ができない。
そこで、 文頭に転移可能な理解(事実内容に裏付けされた、時を超越した考え)を入れて以下のように書く。
・…ということを理解するために、世界の地域間の経済的な相違を特定する。
p.11.
・…ということを理解するために、技術の変化を比較する。
中学生向けにアレンジして、以下のように例示されています。
・地勢と天然資源は地域の経済力を決める要因の一部である、ということを理解するために、世界の地域間の経済的な相違を特定する。
p.12.
・技術の進歩は、社会における社会的・経済的パターンを変える、ということを理解するために、技術の変化を比較する。
「何を理解させるために、○○を学んでいるのか?」という点が問われている形です。
教師に求められる考え方については、「概念型マインドを形成するためのパラダイムシフトが求められるのは、トピック、事実、スキルを最終目標ではなく支援ツールとして使用し、概念、一般化、原理に向けて帰納的に指導することである。」(pp.54-55.)という文に凝縮されている気がします。
概念的な理解を促し、転移が出来るようにするために、例えば、「概念レンズ」「帰納的アプローチ」の考え方が重要なように思えました。
概念レンズは、関しては、以下の通り。「見方・考え方」に似たものと見えます。
私たちの思考というのは、整理されていないデータに対してはうまくはたらかないものだ。しかし概念レンズがあれば、アイデアや概念(通常はマクロ概念)を用いて、学習に焦点や深さをもたらすことができる。
P.17.
教師が学習のどこに焦点を当てるかで概念レンズはおのずと決まってくるので、まず単元の題名を決め、次に概念レンズを選択する。(中略)繰り返しになるが、レンズには学習単元で概念的な章典をどこに当てるのかということが反映されてくる。
P.19.
概念的な考え(一般化)となる内容を明確化することを重視するだけであれば、先に一般化を生徒に提示することもできます。ただ、本書ではそのような先に示すアプローチではなく、最終的に概念的な考え(一般化)を生徒が導きだせるようなアプローチを推奨しています。
演繹的アプローチでは、生徒が探究に取り組む前に一般化を提示し、生徒はそこからその一般化を裏づけるような事実やスキルを見つけていく。帰納的指導では、逆のアプローチをとり、生徒はまず概念もしくは一般化に関連する例や特質に触れ、これらの情報に基づいて概念的な考え(一般化)を導き出し、それを表現する。言い換えれば、演繹的指導は抽象から具象へと向かうアプローチ、帰納的指導は具象から抽象へと向かうアプローチということになる。どちらも探究学習を取り入れることができるが、概念型の指導においては、生徒が理解をみずから構築できるように授業が設計されている。このようなアプローチにおいては、高次の思考とアイデアの統合が求められるため、結果として生徒の理解はよりパーソナルなものになり、記憶として定着しやすくなる。
Pp.99-101.
授業の最初に教師が一般化を提示し、そのあとに生徒がそれに関連する実例を見つけるという方法を用いた場合、生徒は自分自身で理解を構築し、それを表現する機会を奪われることになる。しかし実際は、適切な指導さえあれば、どの学年の生徒も目標とする一般化にたどり着くことができるのである。生徒は、みずからの認知的能力をはたらかせ、事実とスキルから転移可能な概念的理解へと移行する機会をあたえられたときに、より深い理解を手に入れることができる。
P.101.
具体的なカリキュラムの作成方法については、本書で詳しく紹介されています。「概念型カリキュラムの単元設計のステップ」として、以下の11ステップが紹介されています。
ステップ1:単元名を決める
pp.167-168.
ステップ2:概念レンズを決める
ステップ3:単元の領域を決める
ステップ4:トピックと概念を単元の領域の下に書く
ステップ5:その学習の単元から生徒に導き出してほしい一般化を文にする。
ステップ6:思考を促す問いを作る
ステップ7:必須内容を決める。
ステップ8:主要スキルを決める
ステップ9:単元末評価課題及び採点ガイドを作成する
ステップ10:期待される学習経験を設計する
ステップ11:単元の概要を書く。
特に「知識を構造化」を図るだけでなく、スキル的な「プロセスの構造」を何通りも緻密に考えて、それを単元計画に取り込んでいくのが、特徴的なように感じました。詳しい事例や各ステップの書き方は、本書の資料編に豊富に記載されています。
ストラテジーが複雑である場合、概念的な授業を意図的に設計しない限り、生徒がある時点でそのストラテジーについて知ることができたとしても、その数日後だったり、別の文脈に置き換えたりしたときに、もう一度同じことを教え直さなければならなくなることがある。
P.110.
教師がこういったカリキュラム設計の考え方を理解し、日々実践していくために、継続的な教員研修が必要だとされます。ゆえに本書は、カリキュラムの理論書というだけではなく、教員の研修のあり方への問題提起を含んでいるようにも読めました。
教師がカリキュラムを再設計し、概念的理解を目標に据えられるようにするためには、継続的な教員研修が求められる。ワークショップは概念的カリキュラムのための指導法を多くの教師に紹介し、共通の理解や語彙を構築するのに効果的な方法だといえよう。ただし、フォローアップの研修がなければ、指導法は維持されにくい。どんな実践上の変化もそうであるように、理解、知識、およびスキルは時間と共に築かれるものである。
P.131.
概念型の指導や学習に対する理解を深めるには、本の勉強会、メンタリングやピアコーチング、コンサルタントへの継続的な連携、経験豊富な概念型実践者との協働が役にたつだろう。
あと、この概念型カリキュラムの発想が、「概念的な理解」「一般化」に相当する文を明文化することを重要視してますが、
新学習指導要領への批判などでもあるように、あまりに教える内容が明文化・指定されすぎていて、教員側の自由度が無いようにも見えなくもない(そんな批判もありうる)。
以下の文章は、本書がそのような問題意識に対して、応答しているように見えました。
このようなアプローチに対して「担当教科の概念的理解を教師やカリキュラム作成者たちに教えてしまうというのは本当に得策だろうか。内容や文脈を考慮したうえで、自分たち自身で重要な概念的理解を設定した方がよいのではないか。概念的理解を指定することにより、それが新たなチェックリストになってしまったら元も子もないのだから。」という疑問も呈されている。たしかに、教師には自分たち自身で概念的理解をつくり出してほしい。しかし、多くの教師はそうした概念的理解を書くトレーニングを受けていないというのも現実だ。また、世界中でこのようなトレーニングが必要であるということを考えると、ワークショップごとに独自のトレーニングを提供していくというのは効率的ではない。したがって、世界各地で概念的教育のワークショップを行う人々をサポートするために、各教科の学力基準において、少なくとも重要な概念的理解については質の高い例を提供することが得策ではないかと筆者らは考える。
pp.90-91.
悩ましい点ではあると思います。
本書を読むと、概念的アプローチの重要性も大まかには分かる気がしますし、新学習指導要領のベースにある考えの一つが理解できるような気もします。
共感するにせよ、批判するにせよ、一読すべき本のように感じました。
個人的には、モヤっとする点はあるのですが、それはまたどこかで。