読書メモ

木村元編著(2020)『境界線の学校史-戦後日本の学校化社会の周縁と周辺-』東京大学出版会.

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戦後日本の学校史の中には、「学校的なもの」「学校的ではないもの」だったり、「学校で学ぶべきもの」「学校で学ぶべきでないもの」など、様々な境界線が引かれてきました。

本書はそのような、「周縁・周辺の学校群さらには学校教育の周縁・周辺の内容・領域」に焦点を向けて、論じられています。

目次は以下の通り。

序 章 「境界線の学校史」の問題構制(木村 元)
第1章 「学校」制度の境界線――その形成と展開(木村 元)

第I部 教育を保障する境界――義務教育・学校教育・公教育
イントロダクション(木村 元)
第2章 夜間中学の成立と再編――「あってはならない」と「なくてはならない」の狭間で(江口 怜)
第3章 勤労青少年と教育機会における学校方式の問題――教育機会拡充をめぐる社会的力学(濱沖敢太郎)
第4章 揺れ動く公教育の境界――外国人学校は公的に保障されうるか(呉永鎬)

第II部 どんな教育を保障するか――普通教育の境界変動
イントロダクション(木村 元)
第5章 道徳教育に抗する/としての生活指導――普通教育の境界変動と宮坂哲文(神代健彦)
第6章 普通教育としての職業教育をつくる――産業教育研究連盟と新制中学校のカリキュラムの変容(松田洋介)
第7章 高校工業科における普通教科と専門教科――柔軟な教育課程編成による職業と生徒への対応(山田 宏)

結 章 〈学校の世紀〉における境界線の変動(木村 元)

本書の目次にもある通り、本書では、学校化社会の成立が重要な視点となっています。本書では、学校化社会に関して、イヴァン・イリッチの定義を念頭に置きつつ、「学校がなくてはならないものとされ、学校に通うことが誰にとっても当たり前のこととして受け入れられ、また学校を卒業することで認められる社会」(p.1.)と整理しています。

そのような学校化社会を生み出す境界領域として、夜間学校、定通教育、朝鮮学校、生活指導、職業・技術指導などをはじめ、複数の検討対象が据えられています。

本書で扱うアプローチとして、以下のように述べられています。

本書では、それぞれの時代の新たな課題に対して学校が自らの姿を調整しながら内実を整えてきた過程にアプローチすることで、歴史的存在としての学校の営為を示すことを目指している。そのため、学校と学校外を分ける境界線に注目し、学校が外部の要請を受け止めていく際に浮かびあがる矛盾、葛藤や課題を捉える、という方法を用いる。

p.3.

この「調整」という言葉・発想は、以前に木村先生が書かれた『戦後の学校史』を連想させるものでした。

『戦後の学校史』も面白かったのですが、「調整」や「葛藤」の問題は、私の関心にも近いようです。

各章それぞれ面白いのですが、

個人的には、「学校化社会」の成立という言葉と特にフィットする感じがしたのは、夜間中学校と定通教育の章でした。より正確に言えば、学校化社会が成立したことによって、両方の学校に通う人々のマイノリティ化がより顕著に進んでしまう、という点が何とも印象的でした。以下、引用です。

戦後の夜間中学校はダイナミックに変化を続けてきた。夜間中学の歴史を「学校化社会」の成立という観点で眺めれば、学齢の不就学・長欠児の在籍がごく少数となる再編成の終わりを一つの画期とみなすことができる。高校入学が当たり前となるこの時期、夜間中学は義務教育未就学者、もしくは日本の義務教育対象者としては境界線上ないしその外部に位置する学齢超過者の学びの場へと変化した。こうした文脈において学校化社会の成立とは、学校とは縁遠い形で生きてきた数多く存在した社会から、そうした人々が限りなく少数者となる社会への変化を意味し、学校なるものから零れ落ちることが生活・生存の困難へと直結するようになったことを意味していた。

p.57.

高校進学率は1970年代半ばまで急上昇していくが、それは、全日制高校に進学できない勤労青少年がマイノリティになっていく過程でもあった。全日制に通えないということは、高校生がエリートであった時代よりもはるかに強い負のレッテルとなり、定時制や通信制に通うことが当人の低学力を疑う材料にさえなっていた。

p.94.

学校化社会という視点で見たとき、「教育の逆コース」と言われる1950~60年代を基盤形成期として見ることができる。この見方には改めて気づきがありました。戦後社会科教育史を捉える時に、この問題をどう考える形になるのだろうなあと、可能性も含めて考えさせられました。

戦後の「教育の逆コース」として捉えられる時代を象徴する政治的な局面から学校制度の法整備のレベルに視点を移してみると、50~60年代にかけては、学校化社会への基盤が築き上げた時期と言える。

p.33.

道徳の問題を象徴としつつ、価値に関わる問題を扱うかどうかという論点が、戦前から戦後へと形を変えて、存在し続けてきたことが分かります。戦前と戦後の連続性や、戦中期の教育の位置づけなど、単純に断絶・転換として語れないのだなと改めて感じていました。

産業革命以前の日本社会においては、生活から距離を持った場で学校に子どもたちを通わせることは容易ではなく、近代学校制度の前提である皆学の実現には国家レベルでの工夫が求められていた。これに対応したのが、家父長的なムラ共同体秩序を支えた郷党意識に根差した学校方式であった。そこでは「創造された伝統」(ホブズボーム)としての天皇制が支柱におかれた。教育勅語を書くとして、ムラ共同体の同心円を拡大して国家共同体を教室内に実現しようとするものであり、この共同体の延長上に教師と「教え子」との関係を築くことで、学校教育を国家共同体のなかに位置づけたのである。

p.16.

全体主義道徳と社会科というセットの存在に着目するならば、戦後新学制は、修身が担っていた道徳教育を人間形成の領分そのものとして学校教育制度から排除したわけではなかったことがわかる。このことに同意するならば、戦後新学制が定義する国民に保障されるべき共通の教育としての普通教育は、既に道徳教育を含む形で、つまり、(古典的な区分でいえば)知育、体育、そして徳育という人間形成の領分をおおむねカバーする形で、その境界が首尾よく定められていたと言える。

pp.149-150.

近代の学校のカリキュラムは教科を中心に置くものであるが、人々の本音の部分では、それだけでは人間は育たないと考えられてきたといえよう。イデオロギーレベルでは戦前の修身が批判されるが、人格と価値の教育というレベルにおいては戦後も共通の課題を有しており、それを排して存在していた戦後のカリキュラムの境界線が引き直されることによって、底流にあったものの胎動が促されたといえないか。

p.245.

日本の公教育の排除性を一番顕在化させてくれるのは、朝鮮学校の事例だったように思います。教育基本法における「日本国民の育成」の原理と、それに基づく公教育保障の考え方が、いかに民族学校の人たちを悩ませ続けてきたのか、その輪郭を分かりやすく提示してくれています。

朝鮮学校が私立1条校として許可を受けた場合、民族教科を正課として扱ってはならないとされていたり、外国人学校法案において、政府の施策を非難したり国益を害する教育をしてはならないなどとされていた。「学校」を定義するうえで、「〔日本〕国民の育成」(教育基本法第1条)のための教育内容が定められるが、その教育内容は日本国民の育成を目的としない外国人学校の教育内容と一致するわけではないため、外国人学校は「学校」としての要件を満たすことはできない。今日においても、1条校となれば学習指導要領や教員資格等の問題で外国人学校固有の教育活動が制限され、各種学校となれば公的保障を得にくいというトレードオフの状況に、多くの外国人学校が悩まされている。

p.125.

このような朝鮮学校の例を始め、本書では、制度化することによって失われる保障の側面が顕在化されているように思います。これは倉石先生の『包摂と排除の教育学』を読んだ時にも同様に感じたことでした。

夜間中学は、学校に行けない子どもの就学を保障しようとその条件整備が進められると同時に、制度的に「公認」を得ようとしてきた。しかし、夜間中学の制度化を進められることは、夜間中学で義務教育を保障すべき対象(生徒)は誰かという問題を顕在化させ、現場では柔軟かつ個別的に行っている入学要件が制約される懸念がもたれていた。・・・中略・・・制度化にともなって沈潜させられた人々の求める人間形成への価値が軋轢を生み出す源泉として認められる。

p.245.

アメリカの社会科教育史を少し研究している自分にとって、専門という意味での関心が湧いたのが、第6章の職業教育の話でした。
日本教育史に関して不勉強で恐縮ですが、戦後の日本から見た当時のアメリカ、そして、戦後新教育的な思想をめぐる日米の状況の差などについては、今後も勉強していきたいなと感じた次第です。

例えば、次の引用など、興味が湧きました。

戦後の教育学界は、アメリカの新教育思想、とりわけ社会科中心のカリキュラム論に支配されていたが、これら新教育思想は「アメリカの中間階級上層の、裕福な満ち足りた家庭を背景としてかたちづくられてきたものであり、本質的に消費生活中心」のものである(宮原 1956: 14)。しかし、国内では、戦争によって壊滅した経済活動はいまだ復興せず、人々は困窮状態にあえいでいる。だからこそ、生産の拡大に寄与する科学的生産人を養成する必要があると主張したのである。

p.182.

最後に、本書の現代への示唆も各章で感じられました。戦後の1990年代以前とは異なる形で、学校のあり方が問い直されていることが分かります。

各章でもそのことは意識的に論じられています。N高校、フリースクール、インターナショナルスクール、道徳の教科化など、教育史研究としては結構攻めるなあと思うくらい、現代的な問題についても言及しているのが印象的でした。

1990年代に入り、学校は、その制度的な境界線を緩め広がりを見せる。特に90年代後半以降、中核の学校の主たる部分が分肢したり選択肢を有したりする動向が現れてきた。このような戦後の学校制度の問い直しのみならず、2010年代に入ると、学校のシームレス化がいわれるなど、学校制度そのものの相対化がはっきりとした形で示されるようになる。

p.40.

要求をすべてそのまま受け入れて無限に境界線を広げることはできない。境界線は制度としての学校(教える内容)と子どもの多様な状況や要求を勘案して引かれるが、その調整の過程で引かれた境界線によって生じる緊張感の内実こそが重要な意味を持つ。

p.248.

最後の引用にあった「要求をすべてそのまま受け入れて無限に境界線を広げることはできない。」というのはまさに現代でもその通りなのだと思われます。

その中で、葛藤や境界線、その調整をどう行っていくべきか。

戦後教育史を通して、境界線の引かれ方を示しつつ、現代的な示唆も多い本のように思いました。

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