法教育について、理論的な考え方を押さえつつ、単元計画やワークシートレベルの実践的な教材まで提示してくれている、大変ありがたい本です。
私自身、法教育に詳しいわけではないのですが、本書で提唱している「動態的な法教育」の重要性を様々な説明によって理解することができました。
目次は以下のような感じです。
【第1部 理論編】
第1章 法教育の意義とその目的
第2章 法教育の学習理論――中学校社会科公民的分野を例にして
第3章 ルールと法の関係を法的にとらえるために
第4章 個人と国家の関係を法的にとらえるために――”憲法の意義”
第5章 個人と個人の関係を法的にとらえるために
第6章 紛争の解決を法的にとらえるために
第7章 教育公務員に必要な法的な力
【第2部 実践編――教師の視点と教材づくり】
第8章 法教育における社会的なルールづくり
第9章 法教育における社会契約論の教育
第10章 法教育における立憲主義教育
第11章 法教育における主権者教育
第12章 法教育における司法教育
第13章 法教育における消費者教育
第14章 法教育におけるワークルール教育
第15章 法教育における防災教育
前半では、本書の考える法的資質(法的知識、法的技能、法的態度)などを包括的に説明したり、学習指導要領(中学社会)との関係の中で、教えるべき概念枠組みや内容を整理しています。
「対立と合意」「効率と公正」以外にも、法教育的に見て欠かせない概念枠組み(見方考え方)のようなものをしっかりと押さえている印象。
こういうところにも、実際に授業をする際の配慮が強く感じられます。
本書の中核となる「動態的な法教育」に関しては、「法意識」「法規範」「法制度」の3要素、さらにはそこに「法関係」を含みこむことによって、法的も問題を構造的に把握しようとしています。
本書を読んで、ザックリと整理するとこんな感じでしょうか。
法意識・・・法の背景となる意識の総称(特に、個人を尊重し、人権を守ること)
法規範・・・法意識を根拠とされる憲法典や法律など
法制度・・・法規範を根拠として、具体化される制度や機構、
法関係・・・上記の3要素によって規定される政治・経済・社会関係など
このような4点を抑えながら、後半の実践編の授業例でも、構造図で毎回整理して論じられているので、繰り返し読むうちに「動態的な法教育」の見方が落とし込んでいけます。
さて、特に面白いなと思ったところを数点。
象徴的だなと思ったのは、教師と法曹専門家との協働が促されている点です。
法教育において、弁護士を中心とした専門家との協働が重要だというのはよくわかるのですが、その主張がシンプル故、その理念のようなものを実感させてくれる気がしました。教科教育が様々な諸学問や諸専門領域を背景としている以上、様々な形で専門家との協働が必要なのはまさにその通りだろうなあと。そういう意味で、法教育関係者の教師・法曹専門家の協働へのフットワークの軽さは、見ていて刺激を受けます。象徴的だと思ったのは以下の1節。
授業は、子どもを理解した教師が、同様に教科としての教育内容を理解した上で、目の前の子どもにふさわしい教育方法を選択して行われます。そのような意味では、授業は教師の力量が問われるクリエイティブな行為です。そこでの教科の内容は学問の文脈に位置づけられます。そのため、教師は常に深い教材研究が求められます。一方で、多岐にわたる教育内容のすべての教材研究を行うことは実質的に困難です。そこで、専門家との協働が求められます。とくに法教育においては、弁護士などの法の専門家との協働が求められます。・・・中略・・・ただし、法の専門家である弁護士は、基本的には教育の専門家ではありません。子どもを理解し、教育内容の選択を行うのは教師の役割です。学問の成果を子どもにそのまま教えるだけでは、子どもがそこにある課題や考え方を認識することが困難であるかもしれません。専門的な内容は専門家に助けてもらいながら、子どもの理解については教師が主体的に授業づくりに関わる必要があります。
(p.54.)
その他、例えば、
法と道徳の違いや葛藤が表出する場面が(3章)や、
狭義と広義の憲法の整理、近代憲法の重要性の話(4章)、
さらには、公法(国家と個人の関係を規律する法)と私法(個人と個人の関係を規律する法)と分類した場合、日本の学校教育における法学習が、公法中心だったという点も、改めて自分なりに整理出来て勉強になりました。
私法的な見方や契約の考え方を学ぶことが大切だとした上で、その私法を公共的な観点から捉える視点も重要だとする指摘は、後のワークルール教育の話ともつながっていきます。
特に、個人的には、
「第6章 紛争の解決を法的に捉えれるために」の内容が熱いなあと思いました。
何というか、この本の教材づくりのスタンスを醸し出しているように見えたからかもしれません。
司法における「公正」という概念は、場合によっては、児童・生徒の素朴な道徳観上に反する要素を持っているということです。初等中等教育段階において扱う限りにおいては、私人間における紛争の解決のあり方は、たとえば裁判所を用いてそれを行う場合でも、私たちの道徳観や感覚からそれほど大きくは外れていません。・・・中略・・・しかし、刑事司法については様相が大きく異なります。刑事司法では、憲法・刑法・刑事訴訟法をはじめとする諸法令に厳密に則った紛争解決が求められるだけでなく、そこで用いられる法の内容が、児童・生徒には納得しがたいものである場合も多いのです。
(pp.110-111.)
素朴な道徳観と法の考え方の不一致へ注目する視点は、本書の教材づくりの軸の一つではないかなあと読んでいて思いました。
このように言った後に、黙秘権の事例を出したり、あえて、民衆の意思から切り離された機関に判断を任せることの意義(司法を民主化しすぎないことの意義)を説明しています。
しかしながら、私たちが培ってきた社会生活上のモラルや常識などに反するようなことであっても、それが憲法や法律に定められており、かつ、司法の場で基本的人権を保障していくためには重要であるならば、そのことを胸に落ちる形で理解することができるかどうかが、「公正な司法」という理念について本当に理解できたかどうかを図るひとつのポイントではないかと思います。そして、それに成功している授業実践は、残念ながら多くはないと思われます。
(p.111.)
更に「基本的人権に関する記述」と「司法に関する記述」が離れている現行の教科書への批判もされています。
このように、基本的人権に関する記述と司法に関する記述が離れてしまっているこれまでの多くの教科書では――そのような構成に従って組み立てられた授業では――司法に関する法教育を第2章・第3章で示したような「法意識⇔法規範⇔法制度」という三つの要素で相互関連に基づく動的な変化・発展するものとしてとらえることが難しくなるのです。憲法を平面で静態的なものとして描き出し、その結果、そのような教科書や授業は、市民が自分のために人権を主張し司法を利用する、という主体的観点から学ぶことを妨げ、基本的人権の意義や、裁判所をはじめとする私法に関する諸システムが人権保障・権利確保・紛争解決に果たすべき役割をとらえられなくしています。さらに、授業で児童・生徒自身が、現状の司法がはらむ課題や問題点について考え、それを改善していくための法解釈や法政策にまで踏み込んだ提案をするといった営みを行うことも期待できなくなります。
(p.116.)
もうこれだけ読むだけでも、本書の方向性がよくわかると言えるのではないかと思います。
このような考えに基づけば、
国民の司法参加のあり方ひとつとっても、単に裁判員として「参加」するだけでは不十分なわけです。
ゆえに、「既存の特定の制度を所与の前提とした上でそこへ『参加』する能力をいかに身に付けるか、という観点からのみ授業を構想するのではなく、既存の制度そのもののあり方やその制度が前提とする諸事実・諸理念にまで遡って学び考え、更には、必要があれば新しい制度を自ら構想することができるような能力をも涵養することが重要」(pp.119-120.) となります。
こんな感じの理論編の内容のもと、第二部で紹介される事例はいずれも興味深いものです。
単元計画やワークシートまで掲載してくれており、実践者への提案力は抜群な感じがします。
紹介されている事例の一部をメモするとこんな感じ。
・公園利用におけるルール作り
・国民の憲法改正権はどこまで認められるか?(憲法限界説と憲法無限界説の比較)
・自衛隊の南スーダンへの国際貢献の現状を5段階評価で整理させる。(平和主義とは?)
・黙秘権を含む、適正手続きを欠くとどんなことが起こるかを考えさせる授業案(「形式的正義」「手続き的正義」の重要性」)
・法律で成人年齢が変わったからといって、これまでよりも早い年齢で正しい判断が可能になるのか?
いずれも、授業の問いを立てる際に、学習者に疑問を持たせたり、ジレンマを感じさせる工夫が多く見られる気がします。
あと、
ワークルール教育のところで、これまでのワークルール教育が「従属的な労働者像を前提としながら、そのような労働者を守る強行規定などを学んでいく保護主義的なアプロ―チ」(p.202.)がなされてきたという話には改めて共感。
特に契約に関する話などは、個人的な損得や納得だけで考えてしまいそうなテーマを、公共的な側面から考える必要性を提起しているのがよくわかります。
労働契約の面からのアプローチを単に「自分のみを守るために、自分の意思で、気を付けて契約を交わしましょう」という、契約の持つ個人的な側面のみに関する学習だけにしてしまっては不十分ではないでしょうか。個人が契約という法律行為を自由な意思で他者と交わす意義が、自分のためだけであるという認識は正しいのでしょうか。第5章にあるように、契約には、個人の自由・権利・利益の確保という点だけでなく、公共的な意味も存在します。その点を法教育でも生かそうとする第5章で示した問題意識をワークルール教育でも生かしていきます。このような契約の公共的な側面を意識できる学習を行うことにより、学習者は自分たちが締結する契約が新しい社会を作っていくという意識を持つことができ、主体的に法やルールを創造する力や姿勢を育てていくワークルール教育に繋がると考えられるためです。
(pp.206-207.)
社会事象を概念的枠組みから捉えていくこと、物事を公共的に捉えていくということ、更には教師と専門家が協働することの意味、これらの点をシンプルに熱く語ってくれている本のように思います。