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【感想メモ】ハリー・C・ボイド著:小玉重夫監修:堀本麻由子・平木隆之・古田雄一・藤枝聡監訳(2020) 『民主主義を創り出す――パブリックアチーブメントの教育』東海大学出版部.

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今年の三月に出た本ですが、勉強になりました。

ハリー C.ボイト氏と共著者による「Awakening Democracy Through Public Work」(Vanderbilt University Press, 2018)の完訳版です。

パブリックアチーブメントの実践については、古田雄一さんのご研究も有名ですし、勤務先の東海大学の全学教育でも取り組まれています。

それらの話題から、私も断片的には学んでいたつもりだったのですが、私の不勉強のせいで、その活動のプロセスや形式面に目が行き、背景的な理解がほとんど出来ていませんでした(ということを本書を読んで痛感しました。。)。

そういう意味でも本書を読むと、パブリックアチーブメントが他の実践と何が違い、なぜ必要なのかという背景的な理念や思想がよくわかるように感じます。

目次は以下のようになっています。  

イントロダクション
1章 市民政治を再構築する
2章 市民の問題としての教育
3章 パブリック・ワークの文脈化
4章 世界を築く、生活を変える、歴史をつくる
5章 海外のパブリック・ワーク
6章 大きな考えのパワー
7章 エンパワメント格差に挑む
8章 共通善の職人
9章 民主主義を呼び起こす

パブリックアチーブメントの理論的・思想的な背景、様々な実践例の紹介、国内外への普及状況、歴史的なルーツ、今後の展望など、盛りだくさんに語られています。

私の興味関心に基づき、印象的だった点を四点ほど挙げます。  

一点目は、善悪二元論的な市民運動との対比が明確に述べられていた点です。

特定の社会問題に対して、Aの立場を取るか、Bの立場をとるかを議論するのでなく、特定の文脈において、課題の解決をするためには、自分には何ができるかを話し合う。イデオロギーや個々人の意見といった多様性を超え、共に目標を実現していく問題解決のプロセスがかなり重視されているようです。

 「ひと昔前の世代において、市民一般、とりわけ若い人を政治的生活に向けて教育し、市民の参加とエンパワメントを高め、応答的な政府を生み出すという趣旨をもった、活動家の市民グループが数多く生まれてきた。(中略)彼らは時折オーガナイジングの言葉を用いていた。だがその意味するところは“動員”であった。」.  

(p.21)

「解放運動によって、私は動員とオーガナイジングの違いを学んだ。デモや抗議運動、座り込みと言った動員は、より目に見えやすかった。オーガナイジングには時間がかかり、パブリックな才能を育むものであった。」

(p.24.)

「二元論的な方法は、戸別訪問を抜け出て、南部のつる植物の葛のように広がっていた。それは市民生活二極化し、敵を対象化し抽象化させ、市民性を蝕み、政治は福祉であると伝達し、そして政府機関を問題解決のためのパートナーではなく資源を得るための“ターゲット”に矮小化させる。」

(p.23.)

ここら辺の記述からもパブリックワークが生まれた背景がよくわかります。 同時に、いかに二元論的な構図を抜けて、ある種の現実的な交渉のプロセスなども重視しながら、協働しながら問題を解決するか。そこに重きが置かれているように思います。

こういった問題解決をするためには、子ども達は必要に応じて交渉や妥協もすることもあるでしょうし、必要なスキルを身に付けないといけない場面もきっとある。(前提として、その場を作る周りのサポート体制がめちゃ重要だとは思います)

でもだからこそ、「自分たちの声で何かが変わるんだ」という実感が得られる。


逆に言えば、論争的な構図を作って、生徒の政治的な意見を確立させよう、という発想とは異なるアプローチのように思います。

この動員とオーガナイジングとの境界線をめぐる議論は、現場レベルではとても繊細な価値判断が要求される場面もあるのだろうと読んでいて感じました。

コーチの役割もそうですし、グループ内での意見の違いもそうだと思いますし、地域の利害関係者との関わりなどもそうでしょう。そういった繊細さを持つパブリックワークがどのように実施されているのか、本書を読んでいて興味が惹かれました。    

二点目は、授業実践が豊富に載っており、学校や地域の文脈を重視していることがよく分かることです。  

とりわけ印象的だったのは、パブリックアチーブメントが失敗したというハイランドパーク高校の事例や、その後の新たの試みとしてのセントバーナード小学校の例でした。

学校の文化というものを理解せずに行うと、提案も問題解決もうまくいかない、というのは、先ほどの善悪二元論の枠組みを超えて、文脈に即して考える発想と繋がっています。  

「パブリックワークのアプローチは、その起源や土台となる歴史と文化を通じて最もよく理解される。」(p.218.)と語られるように、どういう学校でどういうきっかけでその実践が開始されたのか、という点が語りの中で重視されているのがよくわかります。  

パッケージ化された方法論や学習プロセスだけでは語れない、その学校の歴史と文化を学んで、その学校だからこそできる、唯一の実践や事例を作り上げていくべき、という発想がよくわかります。

その他も、紹介されている実践例はいずれもリアリティがあるし、関係者の声が豊富に紹介されているので読みやすいです。

三点目は、市民専門主義という発想を通して、専門家のあり方自体に市民概念を導入する重要性を提起している点です。

「専門家のシステムは、経験的かつ学問的な知識に価値を多き、他の種類の知識(文化的、相関的、地域的、精神的、実験的なもの)を二次的なものとして扱いがちである。そして、専門家は自分自身を地域的な市民生活と市民としてのアイデンティティから切り離して考えるように訓練される。」

(pp.201-202.)  

「学者と専門家は多くの貢献を行うが、彼らは概して差異を超えてパブリック・リレーションを形成するだけの政治的な知識と習慣が不足している」

(p.205.)  

この発想を乗り越えて、市民感覚を持った人間としての専門家養成を行うために、パブリックワークの考え方が専門職養成に寄与していくプロセスや関係性がよくわかりました。  

「ナンデルはシビック・スタディーズと呼ばれる新しい分野の一員であるが、それは専門家と学者自身が市民であるという概念を前提としており、「私たちは市民として何をすべきか」を問う。」 

(p.205.)

「市民専門家主義の概念は専門職の市民的側面を強調するが、それは専門家が、他の市民について、あるいはほかの市民のためにというよりは、むしろ関係構築とエンパワーメントを通じて他の市民とともに活動することを学ぶのである。」

(p.209.)  

アマチュアとしての市民のような話とも繋がっていくとは思うのですが、個人的には、教職課程にパブリックワーク的な学びを入れるとどうなるのだろうかと強く興味がわきます。専門家であることと市民であることの両立をいかになしていくか。逆に言えば、専門的だからといって市民的とは言い切れない。

20世紀前半はアメリカの教育学全体が専門家主義的になっていった時代だと思いますし、ショーンの反省的実践家の考え以降の、ある種の固定的な専門家主義への批判も定着している。
でも、「市民」の視点から専門家主義を捉えることもまた大切な視点だと感じます。
様々に広がっていきそうな、重要な論点だなと。 働く人たちが市民としてあれる社会というのは、とても魅力的なように感じました。

四点目は、パブリックアチーブメントの理論的、思想的な意義を説明する際に、歴史的、教育史的な背景が多く用いられていることです。

シティズンシップスクール、ハルハウス、デンマークの民衆教育の事例などから、各学校や地域の歴史的文脈、ルーツなども。
普通に勉強になります。

一つの実践や理論を説明する際に、そのルーツが多様な背景から成り立っていることを歴史的に語る手法が、私にとっても馴染みやすいものでした。
歴史の章、実践の章と分けるわけではなく、両者が交差しながら書かれているのが、とても良かった。

パブリックアチーブメントの手法を理解したい人からするとまどろっこしいところもあるのかもしれないのですが、各実践の背景を何度も形を変えて描写してもらえると、その理念みたいなものがジワジワと伝わってくる感じも。こういう本が日本でもどんどん出てきたらいいなあと。  

面白かったので、自分の頭の整理をしようと思ったのですが、ちょっと書きすぎました。 (苦笑)
実践的にも、思想的にも、歴史的にも、様々な意味で盛り沢山な一冊でした。

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