論文メモ

2024年3月の論文メモ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

橋本美保(2005)「及川平治『分団式動的教育法』の系譜ー近代日本におけるアメリカ・ヘルバルト主義の受容と新教育」『教育学研究』72(2), pp.220-232.

上記論文の抜粋
しかしながら、ある教育者や実践が体制に抗し得たか否か、社会改革に貢献できたかどうかによってその思想や実践の質を評価できるとは限らない。実践そのものに内在する本質的価値に基づいて大正自由教育を評価することは、その歴史的意義を重層的に捉え直す試みとして必要であろう。p.48.

p.220.

このように、及川が翻訳に用いた主な教授書はヘルバルト主義の影響を強く受けて書かれたものであった。及川はヘルバルト主義教育を批判しながら、なぜこれらの書物を用いたのであろうか。それは、アメリカのヘルバルト主義が、当時日本に輸入されていたドイツのヘルバルト主義とは異なった形で発展していたために、ヘルバルトやヘルバルト主義の理論を正しく理解できていなかった及川には自ら拠っているものの立場が理解できなかったためである。

p.228.

文検受験のために種々の教育学者によって教育理論を学び、さらにアメリカの教育学を熱心に研究した及川であっても、ヘルバルトの教授理論を理解することは困難であった。それは、ヘルバルトが樹立した「教育学」のうち、「教育の方法」の基礎であるはずのヘルバルト心理学の理解が不十分であったことに起因すると考えられる。教育学研究における「二つの系列」の乖離もさることながら、理論的研究の内容が「教育の目的」に偏っていたこと、すなわち教育学における心理学的研究の欠如もまた、日本の教授理論の構築を阻む要因となっていたのではないだろうか。

p.229.

北山夕華(2023)「多様性に応じる教授法の実践と省察:社会正義を志向する主体としてのノルウェーの教師教育者に注目して」『教育学研究』90(3), pp.473-484.

上記論文の抜粋
多文化教育の実践に際しては、文化の差異に注目するゆえに、文化本質主義に陥る危険性が伴う。実際に個々の文化やエスニシティの内部もまた多様であり、個人のアイデンティティは、ジェンダーや社会階層、進行などから複数的に構成されている。また、その一つ一つに社会構造に組み込まれた特権と抑圧の力学が存在することを前提に、それらを重層的に交差したものとして、インターセクショナリティ(交差性)の視点から捉える必要がある。

p.475.

教師教育者の語りからは、ノルウェーにおける不平等問題を取りあげることに不快感を示したマジョリティの生徒の例だけでなく、サーミの抑圧的な歴史についての授業に対して当事者学生が拒否感を示した例や、自身のルーツを知らなかったトラベラーの悪臭の例のような、実践面における困難も浮かび上がった。これらは、歴史的・社会的・政治的に構築された権力関係や不平等を内包してきた社会構造の中に、教師と学生、また、マジョリティとマイノリティの双方が身を置いており、かえっらの思考や態度もまたその影響から自由ではないことを示している。すなわち、CRPにおける脱植民地化の視点は、多様性に応じた教授法の理念だけでなく、実践面においても欠かすことのできない要素であるといえる。

p.481.
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

English

コメントを残す

*

CAPTCHA