読書メモ

ジェニファー・ラトナー=ローゼンハーゲン著:入江哲朗訳(2021)『アメリカを作った思想:500年の歴史』ちくま学芸文庫.

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目次は以下の通りです。

第1章 諸帝国の世界―コンタクト以前から一七四〇年まで
第2章 アメリカと環大西洋啓蒙―一七四一年から一八〇〇年まで
第3章 リパブリカンからロマンティックへ―一八〇〇年から一八五〇年まで
第4章 思想的権威をめぐる諸抗争―一八五〇年から一八九〇年まで
第5章 モダニズムの諸反乱―一八九〇年から一九二〇年まで
第6章 ルーツと根なし草―一九二〇年から一九四五年まで
第7章 アメリカ精神の開始―一九四五年から一九七〇年まで
第8章 普遍主義に抗して―一九六二年から一九九〇年代まで
エピローグ グローバリゼーションの時代のアメリカ再考、あるいは会話の継続

この分量で500年の通史を学べるのは本当にありがたい。
理解しきれているわけではないですが、三点、印象に残った点をメモしておきます。

一点目
思想史とは何かと言う点を、語ってくれている点です。

個人的には、とりわけ思想が時空の産物であり、未来運動に影響を及ぼし続ける(p.24.)、という話から刺激を受けました。

思想史とはつねに、他のもろもろの時間及び諸々の場所の歴史である。なぜなら歴史上のアクターたちは、自らが属する瞬間においてだけ、あるいは地球上で占めるごくわずかな場所のなかでだけ思考するわけではないからである。彼らは、よそで生まれた思想家ないし道徳的世界と対話できるような観念的領域にも住んでいる。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの場合を考えてみよう。彼はマハトマ・ガンディーからインスピレーションを得ており、ガンディーはヘンリー・デイビッド・ソローの熱心な読者であり、ソローは14世紀の仏典に深い関心を抱いていたといったことを知るのは大事である。とすると我々は、キングの進学を理解するために、古代の仏教に詳しくならないといけないのか。詳しくなって困ることはないだろうけれども、それが必要という訳ではない。ここでの要点はただ、過去の思想家たちの想像力をつかまえようとするならば、彼らがおこなったのと同じくらいの思想的逍遙を我々も行わねばならないということである。

pp.25-26.

古典を学ぶ意義や、歴史を振り返る意味を端的に説明してくれている気がします。

二点目
「アメリカ」という自覚が、先住民を他者化することを通して、形成されていったという点です。それは、ヨーロッパとの差別化という、移住者たちのアイデンティティ問題とも言えました。

ヨーロッパからの移住者とアメリカ先住民とは、17世紀における最初期のコンタクト から、18 世紀において――緊張を孕みつつも——維持された関係までをとおして、自らの生存を確実にするために、相手から情報を引き出したり相手についての情報を得たりする術を見つけなくてはならなかった。しかしこうした交流のもっともドラマティックな思想的帰結のひとつは次の事実に存している。すなわち、ヨーロッパからの移住者たちが、新しい環境のもとで暮らすうちに、先住民から区別される人びと(a people)として自分たちを理解するようになったという事実にである。自らを「アメリカ人」と見なしているときにも彼らは、このアイデンティティを実質的なものというよりはむしろ対比的(oppositional)なものと捉えていた。彼らがアメリカ人になるまでの遅くて断続的なプロセスが意味するのは、自分たちが何者でないかだけを知っている時期がながらく続いたあとでようやく彼らは、自分たちが何者かに関する明確な観念を何かしら形成するに至ったという ことである。

pp.54-55.

いずれにしても、いかにしてヨーロッパとは異なる「アメリカ」なるものを言語化していくかという点は、アメリカ思想の最大の論点の一つであったように読めました。

その点、アメリカの思想を明確に示したエマソンの存在は、やはり大きいのだろうと感じました。

アメリカの新しさおよび無垢というヴィジョンによって活気づけられかつ当惑させられたという点で、ラルフ・ウォルド・エマソンの右に出る者はいない。アメリカ独自の思想的伝統に形を与えた思想家として称えられるエマソンは、その欠点への注意を喚起することにも自らのキャリアを費やした。精神の生とは、よく生きられた生活のことであるのみならず、活発な民主主義に不可欠なものでもあると彼は断言した。にもかかわらず彼は、南北戦争前のアメリカの生における民主主義的かつ資本主義的な諸力が、共和国の思想的な富の涵養という、この生活の幸福にとってきわめて重要な営みを阻害することを心配した。

p.121.

ここら辺の論点は、前に読んだ白岩英樹(2023『講義 アメリカの思想と文学:分断を乗り越える「声」を聴く』白水社.とも類似した点があるように思います。
また、ヨーロッパとの差別化という点では、ポストモダニズムとアメリカ思想やプラグマティズムの関係をどう捉えるかという点でも、再浮上してくることが理解できました。

ブルームは、ニーチェと以後のヨーロッパの思想家たちとを軽視してはいなかった。彼はたんに、1960年代の激震ののちアメリカ人たちは「俗物」になってしまい、道徳的権威への不信を深めすぎたためヨーロッパ発祥の簡易的「価値相対主義」を展開することになってしまったと論じている。

pp.276-277.

ウェストが理解していたように、ポストモダニズムの流行は、 かつて退けられた自分たちの思想が――疎外されるなかでいくらかの威厳を身につけたのちに——戻ってきたというアメリカ人たちの認識以上のものではなかった。

pp.278-279.

三点目
戦後のアメリカ思想史において、ヨーロッパからの亡命者の貢献がとても大きいという点です。戦時期による人の移動によって、アメリカの思想の論点も少なからず変容したように感じました。

戦後アメリカの社会理論および政治理論の多くが、亡命学者たちの貢献の延長線上に築 かれることとなった。その後アメリカ人たちは、国外に関しては冷戦の地政学的力学を把握しようとしはじめ、国内に関しては原子論的個人主義の背後に潜む大衆の危険な諸傾向を目にするようになり、そんななか亡命者たちの大衆社会論は人気を博し広く読まれた。1950年代のリベラルな社会学者たちと、1960年代の対抗文化に与したより若い 世代の批評家たちは、疎外と画一主義――これらをもたらしたのは、戦後アメリカの生に おいて優勢を占めた企業官僚制および郊外化であった――を分析するうえで有益な理論を 亡命者たちの著作に見出した。かくのごとく、1930年代ないし40年代におけるヨー ロッパの知識人たちの大移動は、戦後のアメリカ思想の形成に劇的かつ長期的な効果を及ぼした。

pp.226-227.

勉強になりました。
今年は哲学や思想の本を少しずつ読んでいきたい。

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