論文メモ

2023年8月の論文メモ

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中西修一郎(2017)「戦後初期における北条小学校のカリキュラム開発に関する一考察:単元学習の展開に着目して」『京都大学大学院教育学研究科研究紀要』63, 257-269.

木村博一(2010)「20世紀後半における社会科教育史研究の展開:『社会科教育史の体系化と新たな研究方法論を探る』ための基礎的考察」『社会科教育論叢』47, 3-12.

吉川幸男(1992)「読書と社会科教材研究:歴史書を読むことと歴史授業構成との間」『社会科研究』40, 43-52.

↑上記論文の抜粋
社会科教育の研究には今なおエア・ポケットになっている研究領域が少なくない。授業構成に至るまでの「教材研究の過程」もその一つであろう。「授業研究」は一般に「行われた授業の事実」を研究対象とするものであり、教師が日々行う「教材研究途上の事実」を対象にすることはまれである。第一、そのような過程は報告されず、公開されないのが普通なので、研究対象たる事実の収集自体が容易ではない。それでも、社会科全般にわたる教材「構成」過程の方は、「教材づくり」という文脈で一般的に論及されることがたまにあるが、救われないのは教材「構成」以前の「読書」の段階である。

p.43.

教育実習生の教材研究のほとんどが「伝達者」型であり、かなり工夫した授業を志す教師ほど「歴史家」型、「読者」型の教材研究を行う傾向がある。これは読書経験の差から当然ともいえる。「歴史家」型や「読者」型が「伝達者」型と決定的に異なるのは、著者としての歴史家の存在が明確に意識され、「著者の記述」として読む点にある。「伝達者」型の教材研究の場合、著者は関係ないのであって、とにかく歴史事象に関する知識を獲得することに全力が注がれる。本章論で探求すべき読書論は、この最も初歩的な読書である「伝達者」型の教材研究をする教師を対象とした、「歴史家」型や「読者」型に発展できるような本の読み方である。

p.44

香川七海(2020)「戦後教育史における「教育の現代化」から総合学習・オルタナティブ教育への連続性:奥地圭子と鳥山敏子の授業実践を起点として」『教育社会学研究』107, 49-68.

猪俣大輝(2023)「アメリカ課外活動成立過程に関する一考察:生徒の自治活動を学校内化するロジック」『教育学研究』90(2), 248-261.

↑上記論文の抜粋
以上のような1910年代以降のSR誌における教科外活動への関心の展開は、概して言えば、教科外活動の多様化の流れという中で、教師による教科外活動の「管理」と「指導」の方法を洗練させるものであったと捉えられる。

p.8.

10年代以降、中等教育改革や第一次世界大戦を契機に発展した議論の中では、「課外活動」なる語を用いて教科外活動全体を体系的に捉え、その内容や指導方法を検討する理論が確立した。さらに、「自治」を「学校統制への生徒参加」と言い換えることで、活動に関与する教師の役割が明確化され、特に生徒活動の範囲は教師の教育的・計画的な統制下に位置づけられることとなった。

p.11.

久島裕介(2023)「1950年代前半における土田茂範の教育研究の展開:山形県児童文化研究会からの影響に着目して」『教育学研究』90(2), 298-310.

↑上記論文の抜粋
当初の土田は子どもの背後の「生活」を知ることを重視していたのに対し、この時期の土田は、具体的な子どもの問題に着目する中で、子どもの発言や行動を「おもしろい」と認識し、その子の固有の性格や論理を見出すようになっていたのである。

p.56.

1950年代前半の県児文研は、子どもの事実などから見出された教育実践に根差した知見と、社会科学や民間教育運動の方針などの全国的な研究動向に即した知見という二つの焦点を有する教育研究の場であった。このような教育研究を通じて土田は、子どもの事実に内包された豊かな意味を読み取るまなざしや、教育実践の事実を全国的な研究動向と結びつける視座を獲得していたのである。

p.61.

他方で、県児文研では戦前から児童文化研究に関わっていた須藤が発言力を有し、土田がその影響を受けていたことにも注目したい。当時、大田堯などの研究者は教師のサークルの「横の仲間関係」に期待していたが、実際のサークルには須藤のような主導的な人物が存在しており、必ずしも水平的な人間関係ばかりではなかっことも示唆された。

p.61.

岩花春美(2011)「木下竹次の『学習法』の構造:J・デューイの探究の理論との比較を通して」『教育方法学研究』36, 109-119.

↑上記論文の抜粋
前述してきた木下の教育論は、型の修業を重要視する修養的な部面もあると考えられる。このような状況下で、デューイの民主主義的な思想が根付くのは困難であったものの、日本の教育文化的な規定に日本の進歩主義の影響下で日本古来からの伝統とともにあった日本の良き「自律」という芽が育まれてきたことの意味は大きいといえる。

P.114.

このように、木下の「学習法」の構造は、デューイをはじめとする進歩主義教育の影響の中においてはじめて、「自律」と「協同」へと変容している。生活の局面を重視した合科学習が、デューイの思想的な影響によって学習の性質が細分化するとともにその要因同士の相互作用が産み出され、日本的なものと西欧的なものがより一層、調和することで、学習の局面を保持した「しごと」「けいこ」「なかよし」へと継承されてきたのである。それは、木下自身が個人内において探究の過程を経験し実践の理論として「伸びて行く」という学習方法の構想を経て、独自学習ー相互学習ー独自学習へと継承され続けてきたものなのである。

P.115.
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